BLOG / Kentaro Matsuo

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大嶋俊一さん

2023.06.25

大嶋俊一さん
マイティワークス代表取締役

 身長186cm、長い手足に、ハンサムフェイス……。曙橋の石段の上でポーズをとる姿は、まるでモデルのようです。しかし、今回ご登場の大嶋俊一さんのご職業は、モデルや俳優ではありません。彼が代表を務めるマイティワークスは、コンサートグッズを作る会社です。
クライアントは、聞けば誰もが知っている大物アーティストやサッカーチームなど(しかし、その名前は、契約上明かすことができません)、コンサート会場で販売されるさまざまなグッズの企画・デザイン・製作を請け負っています。
「パンフレット、Tシャツ、タオル、キーホルダー、水筒、ポーチ……、本当にいろいろなモノを手掛けています。音楽事務所と打ち合わせをして、商品を提案し、納品までを弊社が代行するのです。すべてイチから企画し、同じものを再び作ることはありません」

 大変なのは、スケジュールです。
「普通のアパレルならば、企画から納品までに半年以上の余裕がありますが、ウチの場合は話を頂いた時点で、コンサート当日まで2ヶ月を切っていることも多い。そのなかでプレゼンして、デザインして、国内外の工場に発注して、サンプルを提出しなければなりません。サンプルに対して修正が入ると、もう大変なことになります。指摘された箇所を修正し、正味2〜3週間で数千個のグッズを作らなければならない。中国の工場からハンドキャリーで持ってきて、空港に待たせておいたスタッフのクルマに積み込み、そのままコンサート会場へ持って行ったことも一度や二度ではありません」
 
 私の属している雑誌業界も似たようなところがあるので、その慌ただしさはわかります。
「普通の人だと、『もう、そんなこと出来ません!』とキレてしまうに違いありません。しかし、私は絶対に諦めません。クライアントと工場の双方と協議しながら、なんとか着地点を見つけるのです。これを21年間も続けて来られたのは、強い責任感を持っていたからでしょう(笑)」
 きっと彼は元モデルか俳優で、そのコネクションを活かして今の会社を立ち上げたのだな、と思いました。しかし、事実はまったく違っていました。

 小学校の頃は目立ちたがり屋だった大嶋少年ですが、中学校に入ったあたりから、引っ込み思案となり、目立つことを避けるようになります。
「バスケットボール部に入っていたのですが、中学1年のときに腰を骨折(腰椎分離症)してしまったのです。中学を卒業するまで、運動ができなくなってしまった。仕方がないので、バスケ部のマネージャーになりました。身長だけは大きかったので、コートに登場すると相手チームから警戒されるのですが、試合が始まると、私の仕事はスコアを付けることだけ。ついたあだ名は“長身スコアラー”でした(笑)」

 ルックスを活かして、モデルや俳優を目指したことは? との問いには、
「考えたこともありません。骨折に加え、目も悪かったし、小学校4年生のころから高校生まで、ずっと歯列矯正をしていたのです。自分の容姿には、まったく自信がありませんでした」

 大学2年生のときにお父上が倒れ、お亡くなりになってしまいます。授業に出られず、卒業のための単位がぎりぎりとなってしまい、ロクに就職活動もできませんでした。
「卒業後は、いわゆるニートでした。明け方に寝て、夕方に起きる生活をひと月ほどしていました。その後、手っ取り早く稼げるので、パチンコ屋でバイトを始めました。そんな私を見かねた親友の父親が、「ウチで働けば?」と誘ってくれ、パッキンの会社に就職しました。携帯のなかのゴムや絶縁体などを作っている工場です。担当したのは品質管理で、出来上がった製品がきちんと規格に合っているかどうか、ノギスを使ってチェックをする係でした。ものすごく地味な仕事です(笑)。これを2年間ほど続けました」

 ここで運命の女神が微笑みます。
「毎日コンビニで買ったメシを、クルマの中で食べていたのですが、ふと就職雑誌に目を落とすと、“コンサートグッズの営業募集”という小さな記事が目に入りました。その瞬間、『これだ!』とひらめいたのです。営業経験がなかったので、面接では、『社長のクルマの運転手なら……』と言われましたが『入れてくれるなら、何でもします!』とお願いして、なんとか採用してもらいました」

 入ってみると、幸運にも配属は営業職でした。しかし、ここからが地獄だったそうです。
「信じられないほどの忙しさでした。当時の音楽業界は、労働基準法など関係なし。毎日朝の3〜4時まで働いて、クルマで家まで送ってもらい、翌朝10時半には出勤しなければならない。その会社には社員専用の送迎車までありました。社員全員が深夜にタクシーで帰宅するよりも、運転手を雇ったほうが安かったのでしょう。当然離職率は高く、新しい社員が10人入っても、1年後に残っているのはひとり、またはゼロでした。私も心が折れそうになったことは何度もありましたが、自らの責任を考えると、どうしても逃げることができなかった。来る日も来る日も、無我夢中で仕事をこなしていました」

 大嶋さんは、その会社での8年間を振り返って、人生で一番つらかった時期だと仰います。
「ミスターチルドレンの『One Two Three』という歌をよく聞いていました。“暗闇で振り回す両手も、やがて上昇気流を生むんだ”という歌詞に勇気をもらって、歯を食いしばっていました」

 今の時代では、あり得ない話ですね。でも私自身も、同じ経験をしています。今では完全リモートになり、月に4、5回しかオフィスに行きませんが、かつて所属していた会社には“マイ寝袋”があり、週に1、2回は編集部に寝泊まりしていました。
「超過酷な労働環境の会社でしたね(笑)。しかし、今では心から感謝しています。このような会社は非難されがちですが、私は100%悪いとは思いません。仕事が多いということは、それだけ経験を積めるということです。人が辞めていくということは、ふるいにかけられているということです。そこで頑張れば、必ず光が見えてくるものです。数多くのピンチを乗り切ってきたので、同じことが起きても解決できるようになったのです」

 大嶋さんは、“叩き上げ”の人でした……。モデルあがりかな、などと邪推した自分を恥じつつ、ファッションのほうを拝見してみることにしましょう。

 ジャケット、インナーのニット、コットンパンツは、すべてサロン ド プリュスで誂えたもの。以前このブログにも登場してもらった伊藤哲也さんが経営するオーダースタイリング・サロンです。

 ジャケットは、ピアチェンツァのアラシャン・ブリーズというカシミア×シルク×リネン生地で仕立てたもので、「とにかく軽くて、通気性がいい」と。これはサロン ド プリュスのシグネチャー・アイテムですね。

 MTMのバンドカラー・ニットは、アルビニ。コットン100%の糸をハイゲージで編み上げたもので、肌触りが最高です。

MTMのパンツは、ドラッパーズ。260g/mの軽量コットンが使われています。大嶋さんは色違いで5本持っているそうです。

「音楽業界はTシャツにデニム等のラフな方が多く、久しぶりにジャケットを着ていると、『謝罪ですか?』などと言われてしまいます(笑)。しかし、私は会社の上層部や銀行の人とも会わなければならないので、ジャケットはいつもロッカーに入れています。私は手足が長く、袖丈は90cmもあります。だから既製のジャケットやシャツは、すべて短すぎるのです。友人を介して伊藤さんに出会ってからは、オーダーメイド一辺倒。もう吊るしに袖を通すことはないでしょう」
 うらやましい体型ですが、それなりのお悩みはあるのですね。

 時計は、ロレックスのヨットマスター。
「15年ほど前に、前の会社の退職金で買いました。当時は普通に買えたのです。黒文字盤のロレックスも欲しいのですが、すっかり買えなくなってしまいました……」

 シューズもサロン ド プリュスが別注したエドワード・グリーン。ラバーソール仕様となっています。

「先日、サロン ド プリュスが企画した食事会へ参加してきました。広尾の茶禅華(サゼンカ)というミシュラン星付きの中華料理店に、顧客が招待されたのです。味はもちろん、ドレスアップして集まっていた人々が素晴らしかった。大会社の役員や医師など、普段知り合えないような人たちと、洋服を通じて交わることができました。視点を広げることができ、ファッションって素晴らしいと思いました」

 実は、この取材・撮影は、始終微笑ましいムードに包まれていました。この日は日曜日だったので、大嶋さんが10歳の息子さんと、7歳の娘さんを連れてきていたのです。
驚いたことに、息子さんは大御所スタイリスト近藤昌さんの息子さんと同級生で、大嶋さんと近藤さんは“パパ友”だそうです。スタイリングのアドバイスもしてもらっているとか。

 大嶋さんがポーズを取る間、私が
「パパ、カッコいいね」というと、ふたりは「えへへ……」と恥ずかしそうに笑います。
「パパ、優しい?」と聞くと、「うん、優しい」と頷きます。
 最後はパパの手を握って、3人で記念撮影。今日はこれから皆で、スタジアムにサッカーを見に行く予定だそう。
 しかし、ここまで至るには、いろいろなご苦労があったのですね。夢中で腕を振り回していた大嶋さんは、いま大きな上昇気流に乗っているようです。

 

THE RAKE
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PROFILE

松尾 健太郎

松尾 健太郎

THE RAKE JAPAN 編集長


1965年、東京生まれ。雑誌編集者。 男子専科、ワールドフォトプレスを経て、‘92年、株式会社世界文化社入社。月刊誌メンズ・イーエックス創刊に携わり、以後クラシコ・イタリア、本格靴などのブームを牽引。‘05年同誌編集長に就任し、のべ4年間同職を務めた後、時計ビギン、M.E.特別編集シリーズ、メルセデス マガジン各編集長、新潮社ENGINEクリエイティブ・ディレクターなどを歴任。現在、インターナショナル・ラグジュアリー誌THE RAKE JAPAN 編集長。

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