BLOG / Kentaro Matsuo

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尾崎雄飛さん

2024.03.10

尾崎雄飛さん
デザイナー、三角形代表

 SUN/kakke(サンカッケー)というブランドをご存知でしょうか? 公式通販のページを開くと、仕立ての良いテーラード・ジャケットから、アメカジ風Tシャツ、フレンチワーク、パンクの象徴のボンデージ・パンツまで、あらゆるジャンルの服が売られています。ここのデザイナーが、今回ご登場の尾崎雄飛さんです。

 尾崎さんは、YouTuberとしても人気です。「洋服天国」というチャンネルを開設され、数十本に及ぶ動画をアップされています。再生回数はそれぞれ数万を超え、多くのファンがついていることがわかります。内容はヴィンテージやアイテムに関するディープな蘊蓄ですが、優しい語り口で肩肘張らずに聞くことができます。
「『もっと知ると、もっと洋服を好きになる』をテーマに、服の話をさせてもらっています。自分のブランドの宣伝ではなく、業界のウラ話や、あまり知られていないエピソードをお伝えしようと思っています」
画面に登場するときは、Tシャツやジーンズ、スニーカーなど、ユルめの格好が多いように見受けられます。

また先日、私が靴磨き選手権大会の審査員として会場にうかがったときに、最前列にタイドアップして、クラシックを完璧に着こなした紳士が座っているのが目に入りました。履いている靴も、完璧に磨き上げられており、只者ではないオーラを発していました。それも尾崎さんでした。

 つまり、この方には、ものすごくいろいろな顔があるということです。クラシックからアメカジ、パンクまでを守備範囲とし、そしてそれぞれが超一流のレベルに達しています。私のまわりには、クラシックを極めた人はたくさんいますが、オーダーメイドのジャケットとボンデージ・パンツを合わせている人はいません。まさに縦横無尽、恐るべきセンスといえます。

「あえてバラバラのものを組み合わせようとは思っていません。好きなものをコーディネイトすると、結果的にそうなるのです。私が大好きなマルコム・マクラーレンも、かつてテーラードにボンデージ・パンツを合わせていました。クラシックもお洒落のジャンルのひとつですから、いいものはいいと思い、取り入れています」

 マルコム・マクラーレンと聞いて、膝を打ちました。マルコムは、1970年代にデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドとともにパンク・ムーブメントを創出した英国人で、このブログにもご登場頂いた藤原ヒロシさんをはじめ、多くの人に影響を与えた人物です(実は私も心酔していた時期があります)


事務所の壁に飾られた人形たち。上段のバディ・リーに加え、下段のカチナドールはインディアンの精霊を象ったもの。

 尾崎さんの場合、それに膨大な古着とヴィンテージに対する造詣が加わり、独自の世界を築き上げているというわけです。
1980年に遡り、その生い立ちを追ってみましょう。

「生まれたのは名古屋です。小学校のときはサッカーをやっていたので、プーマのジャージの上下が世界で一番カッコいいと思っていました。それからジージャンとジーパンの上下を着始めました。『とにかく上下揃えるのがカッコいい』と思っていましたね(笑)。中学生になると、雑誌『Boon』の影響で、アメカジに興味を持ち始めました。ある日、母に1900円のネルシャツをねだったら、『2千円も払うんだったら、フリーマーケットに行けば、たくさん買えるよ』といわれ、彼女は私をフリマに連れて行ってくれました。そうしたら1枚50円のシャツがたくさん売っていた。しかも、オバさんがやっている店で、古着をひっくり返していたら、リーバイスの“赤耳“を発見したのです。値段は700円でした。まさに天にも昇るような気分でしたね。それからは小遣いを貯めては、フリマにばかり通っていました」
 これが、今に至る尾崎さんのヴィンテージ人生の始まりだったようです。そのままアメカジ一直線と思いきや……

「高校生になると、今度はモードにも惹かれ始めました。そして高校1年生のときに、名古屋のヴィヴィアン・ウエストウッドを扱っているファリーンという店でバイトを始めました。私の着こなしは、全身ヴィヴィアンではなく、彼女の服とアメカジをミックスするというものでした。当時はヴィヴィアンが大ブームで、雑誌の取材が殺到して、ちょっとした有名人になりました。名古屋の高校生で、私のことを知らなかった人はいなかったと思いますよ(笑)」
高校生の頃から、ミックス・コーデの達人として名を馳せていたようです。

それにしても……、若い頃って、ファッションのテイストがコロコロ変わりますよね。私も高校1年生の間はアイビー、2年生はモード、3年生はパンクでした。若いって、そういうことですよね。

「高校2年生あたりから、ロンドンへ行きたいと思うようになりました。その頃好きだったのは、ヴィヴィアンをはじめ、ジョン スメドレーやバブァー、トリッカーズなど。『全部イギリスじゃん!』と思ったのです。モッズにもハマって、スーツにも興味が湧いてきて、その頂点であるサヴィル・ロウにも行ってみたかった。そこで3年生の間は渡航費を貯めるためにバイトに明け暮れました」
選んだのは、驚いたことにパンを売る仕事だったとか。
「理由はとにかく時給がよかったから(笑)。夜の7時から深夜2時まで名古屋の錦で1本1000円の高級食パンを売るのです。『そんな時間帯にパンが売れるのか?』と思われるかもしれませんが、クラブのおネエさんへの土産用に求めるお客さんが多くて、飛ぶように売れたのです」


壁に飾られたオブジェたち。バッファロースカルの下に吊り下げられているウインドベルは、アリゾナ州の実験都市、アーコサンティで入手したもの。

 こうして1999年、念願かなってロンドンへ渡り、ノッティングヒルのアパートに住み始めます。
「ロンドンのユル〜い感じが、とても気に入ってしまった。そして、そういう人間になってしまった(笑)。私は今でも、目上の人への気配りができません。先輩のビールが減ったら、すぐに継ぎ足すといったことができない。向かいの人のコップがカラになっていても、『飲まない人だなぁ』と漠然と思って終わりなのです(笑)」
 あ、それ、私もまったく同じです。

「ロンドンでは学費がもったいないので学校へは行かず、毎日とにかく古着屋巡りをしていました。古着って、お店の人がその服の価値を知らないと、いいものでもすごく安い値段で売られていたりしますよね。例えばスメドレーのニットでも、タグが取れていたら、わかる人にしかわからない。そういう面白さはロンドンでも変わりませんでした。サヴィル・ロウも見に行きましたが、縫子さんの様子を外から眺めていても、何をしているんだか全然理解できない。そこで自分でテーラーメイドの古着を買ってきて、解体してみました。すると中に入っているものの違いを目にすることができ、服の良い悪いがわかってきたのです」

 そんな尾崎さんの、本日の装いを見てみることにしましょう。
 ジャケットは古着。
「イタリア北部のテーラーが作ったものだと思います。チロル風の縮絨素材は、意外と見つからないものなのです」
 ユーズドなのに、まるで誂えたように身体にフィットしています。

 タイは、ブルックス ブラザーズのヴィンテージ。名古屋の名店ミツルにて購入。
「ミツルには、今でもよく通っています。現地へ行って、きちんとした仕入れをしている数少ないショップです」

 シャツはターンブル&アッサーのオーダーメイド。本国の通販でお取り寄せ。
「シャツは英国もの、イタリアもの、フランスもの、それらすべてに袖を通します。先日はYouTubeで、各国のシャツを比較するという特集をやりました」

 チーフはシャルベ。

 ゴールドの時計はロレックス。青山のダズリングで購入。ヘアライン模様で装飾された珍しい1本です。
「同じものは見たことがありません。これはオーダー品だと思います。ブレスレットも一コマ一コマ大きさが違って、キレイにシェイプしています」

 左手のリングは、薬指エルメス、中指マルコムベッツ。

右手のピンキーリングは、驚くほど古いもの。
「リング部分は1600年代、はめこまれたストーンは400年代に作られたものだそうです。勝利の女神ニケが彫られています」
 1600年前って、もはや博物館級ですね……。発掘したのは、原宿のソラックザーデです。

 トラウザーズは、ヘンリー・プール製。昭和天皇や吉田茂も愛した名店です。
「ネイビーブレザーと揃えて誂えました。採寸は『もう終わり?』と思うほどあっさりしていましたが、フィット感は抜群です。縫製も味がある」

 シューズは、ジョンロブ。ロンドン・ロブのほうです。
「ウワサ通り、1足目の仮縫いはなしでしたね。2足目からが本番ということなのでしょう。今まで4足ほど作りました。しかし最近、1足目の着心地はとてもいいことに気が付きました。前に作った靴を履いて店へ行くと、インソールなどで調整してくれるのです。仮縫いはしませんが、アフターサービスはしっかりしています。いままでダブルモンクは避けていたのですが、これを作ったとき、ジョンロブの先々代がダブルモンクをデザインしてから60周年にあたるということで、強く薦められたので試してみることにしました」

 偶然とおっしゃいますが、コーディネイトのなかに、英米仏伊のアイテムが混在しています。


英国オメルサ社製、象のレザー・オブジェ。同社の製品は、ロンドンのリバティやアバークロンビー&フィッチでも扱われていた。

 ロンドンにいた時期に、あらゆる服を見たと仰る尾崎さん。お洒落のセンスも相当なレベルに達していたようです。帰国後は名古屋のセレクトショップに職を得ましたが……。

「当時大ファンだったエディフィスが同じビル内に出店するという貼り紙を見て、あっさり辞めてしまいました。エディフィスの面接を受ける前の話です(笑)」

強運にも、エディフィスには見事採用され、しかも入社後3ヶ月で、弱冠21歳にもかかわらず、バイヤーに大抜擢されました。バイヤーといえば、セレクトショップの花形、そう簡単になれるものではありません。
「当時のセレクト業界は、何もかもが右肩上がりだったのです。上司から、『お前は英語が話せるのか?』と聞かれ、『まずまずです』と答えました。『イギリスやフランスの道がわかるのか?』と尋ねられ、『はい、わかります』と返しました。そうしたら、バイヤーとして東京へ異動となったのです(笑)」
 と笑いますが、実は尾崎さんの飛び抜けたセンスは社内でも話題で、上司だった金子恵治さんのお眼鏡に適い、晴れて上京となったと漏れ聞きます。


コレクションしているヴィンテージのシェーカーボックス。百個以上を所有しており、中には200年以上前のものもあるとか。

 その後も「古着屋をやらないか?」、「ブランドをやらないか?」と次々とラッキーな話が舞い込み、フィルメランジェの立ち上げに参画したのは有名な話です。
「フィルメランジェを立ち上げる際にも、モノ作りにフォーカスしたかった。『日本一のファクトリー・ブランドにしよう!』という気概を持って臨みました」
こだわりのTシャツやカットソーは、大変話題になりました。
そして現在では、ヤング&オルセンと前出のサンカッケー、ふたつのブランドを掛け持ちなさっているというわけです。他にも、エディフィスの商品デザインなど、幅広いお仕事を手掛けられています。


届いたばかりのアントニオ・パニコのポロコートを羽織って。

 そういえば取材中、ちょっとしたハプニングがありました。宅急便で海外から人の背ほどもある大きな荷物が届いたのです。尾崎さんは、置かれた段ボールを見て、いても立ってもいられない様子……
「先日ナポリで仮縫いした、アンドニオ・パニコの完成品が届いたようです。開けてみましょうか?」
 そういうなり、ガムテープを剥がして、箱の中からツイード・ジャケットとポロコートを引っぱり出しました。どちらもひとめでハンドメイドとわかる素晴らしい品です。さっそく腕を通すと、ジャストサイズでご満悦。
「オーダーしたのはコロナ以前ですから、もう4年前になります。それから体型が変わってしまったので、きちんと直っているか心配だったのですが……、これはうまくいったようですね。これは80年代あたりのスコットランドのヴィンテージ・ツイードで……」
 と新しい服に目を輝かせ、話が止まりません。
 この方は、本当に洋服が大好きなのだなぁと微笑ましく思った次第です。

 私見ですが、料理とファッションは似ていると思います。美味しい料理は誰が食べても美味しく感じますが、では同じものを作れと言われても、一朝一夕にはできません。料理人になるには厳しい修業が必要です。ましてやバラバラの材料を組み合わせて、まったく新しい味をクリエイトするミシュランの三つ星シェフクラスになるためには膨大な知識に加えて、天武の才が欠かせません。
 尾崎さんはファッション界の三つ星シェフのような存在です。彼が見せてくれる異次元のミックス・コーディネイトは、誰が見てもお洒落だとわかりますが、じゃあお前やってみろと言われても、誰も真似できない境地に達しています。
しかし、そのエッセンスは、彼のブランドの服を買ったり、YouTubeを観たりして、大勢でシェアすることができます。
「皆で食卓を囲むように楽しめる、お洒落の天才」、それが尾崎雄飛さんです。

 

THE RAKE
https://therakejapan.com/

PROFILE

松尾 健太郎

松尾 健太郎

THE RAKE JAPAN 編集長


1965年、東京生まれ。雑誌編集者。 男子専科、ワールドフォトプレスを経て、‘92年、株式会社世界文化社入社。月刊誌メンズ・イーエックス創刊に携わり、以後クラシコ・イタリア、本格靴などのブームを牽引。‘05年同誌編集長に就任し、のべ4年間同職を務めた後、時計ビギン、M.E.特別編集シリーズ、メルセデス マガジン各編集長、新潮社ENGINEクリエイティブ・ディレクターなどを歴任。現在、インターナショナル・ラグジュアリー誌THE RAKE JAPAN 編集長。

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