BLOG / Kentaro Matsuo

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安武俊宏さん

2020.10.29

安武俊宏さん
ビームス プレスチーフ

 スタイリストなどの業界人が“ビームス”と聞いて、まず思い出すのがこの人、安武俊宏さんです。ビームスのメンズにおけるプレス業務のトップを務めています。われわれがなにか困ったときに、まず泣きつくのが彼というわけです。

いわゆる“プレス”といえば、昔からブランドやセレクトショップにおける花形職業ですが、最近のプレスは、ただ雑誌の貸し出し業務をするだけではありません。動画や自社メディア、SNSのコントロールまで、さまざまな仕事をこなさなければなりません。

取材する側とされる側の境界線もあいまいになっています。この取材当日も、ビームスへ行ったら、エレベーターのなかで先日ウチが取材したビームスFの西口修平さんにばったり会い、その後、私が安武さんの取材を始めたら、その横で(たぶん安武さんがアレンジした)西口さんの取材を始めたのが、先日私自身の取材をしてくれた“ゼロヨン”の長谷川さんで、その時私が思ったのが、「そうだ今度ゼロヨンの人にブログに出てもらおう」ということでした。取材者と被取材者が、入れ替わり立ち替わりするのが、現代のメディアの特徴だと思います。

そんな複雑な状況を捌きつつ、毎日レベルの高いお洒落をキープするのは、さぞや大変なことでしょう。

アウターとして羽織っているのは、チンクワンタのフィッシング・ジャケット。一見バブァーにも見えますが、素材はスエードです。

「身長が低くて(165cm)痩せ型なのが悩みです。丈の長さが違うものをいくつか重ねると視覚的に背が高く見えるので、ショート丈のアウターをジャケットに合わせるのは、よくやるテクニックです」

 ジャケットは、ダルクオーレ。私が「オーダーしたのですか?」と聞くと

「いや、これは先輩から譲ってもらったものです。ゴミみたいな値段で(笑)。その先輩はピタピタにフィットしたジャケットとして作ったのですが、その後、太って着られなくなってしまったんです。ビームスには先輩から後輩へ、洋服を譲るという伝統があります。特に会社に入ったばかりの頃は、重衣料は高すぎて買えないので、先輩に助けてもらうんです」

 ニットはドルモア。

「ジャケット+ニットのコーディネイトが多いですね。シャツを着てタイドアップはあまりしません」

トレードマークのメガネは、オリバーピープルズ。

「メガネは結構たくさん持っていますが、実は全部“伊達”なんです。顔に凹凸がなく、あっさりしすぎているので、10年ほど前からかけ始めました。その方が“しっくりくるなぁ”と」

首からかけているシルバー製の香水入れはエルメス。

「実はメルカリで買いました」

もうひとつのシルバー製アトマイザーは英国のジュエリーブランド、バニーのもの。

「これには除菌スプレーが入っているのです」

 なるほど、コロナの時代に、ぴったりなアクセサリーですね。

パンツは、15年ほど前のカーハート。

時計は、1940年代あたりのロレックス。小さめのサイズがいいですね。

小指にはめた、イニシャル入りのシグネット・リングは、オールド&ニューで買ったもの。以前このブログにもご登場頂いた川上正美さんがやっている店で、つい先日私も川上さんからリングを買った偶然もあり、お互いに小指を立てて盛り上がりました(そしてご覧のような、不気味な絵が撮れました)

シューズはボードインアンドランジ。英国のベルジアンローファー専業ブランドです。

「革が柔らかくて、とにかく履きやすい。ローファーなのに、きちんとカカトがついてくるんです」

 ちなみに安武さんは、スニーカーはほとんど履かないのだとか。

「もともとクラシックが好きですし、ヒールのある靴のほうが身長も高く見せられるので。スニーカーはしっくり来ないのです」

そんな安武さんは福岡生まれの、札幌育ち。初めて「自分で服がほしい」と思って買ったのは、アディダスのスウェットパーカとハーフパンツだったとか。

「エアマックス・ブームにハマりました。『GET ON!』(ゲット・オン)というファッション誌を買って、“初めて買うエアマックスは何にしよう?”と散々研究しました。サッカー部だったのですが、結局購入したのは、なぜか“ノモマックス”だったっていう・・」

 その後ファッションに深く傾倒し、高校時代には、もう将来は、ファッションの世界に行くことを決めていたそうです。

「だから、勉強はまったくしないで、札幌のショップ巡りばかりしていました(笑)」

 高校卒業後、上京し、文化服装学院スタイリスト科へ入学を果たします。

「当時は、祐真朋樹さんや野口強さんなど、スタイリスト・ブームだったのです。私も彼らのようなスタイリストになりたいと思っていました」

 しかし、ここで安武青年は、思わぬ壁にぶつかります。

「上京してカルチャー・ショックを受けました。私は札幌にいる頃は、“俺ってメチャクチャお洒落だなぁ”と自惚れていたのですが、東京へ来たら、周りはみんな自分よりお洒落な人ばかりだった。知識もセンスもあるし、服もずっとたくさん持っている。 “このまま洋服の世界でやっていけるのかなぁ・・”とすっかり自信を失くし、ホームシックになってしまいました」

 そこで出会ったのが、当時はメンズも展開していた“フェルメリスト ビームス”のお店。天才的ファッショニスタの尹 勝浩さんと犬塚朋子さんがディレクションしていたお店で、当時の接客は(その後上司となる)諸岡真人さんだったそう。

「とにかく接客のスタイルがぜんぜん違いました。決して押し売りはしないんです。例えば『コレ、高円寺あたりの古着屋に行けば、もっと安く買えるよ。でもサイズとか状態いいヤツとか、探すの面倒でしょ。だからこーゆーネダンになっちゃうんだよねぇ』なんて・・今でも諸岡が言いそうなセリフですね(笑)。売るのは二の次、とにかく洋服の楽しさを伝えたいという感じでした」

 その楽しさが伝わり、安武さんは再びファッションを好きになり、スランプを脱したという訳です。

その後ビームスの入社試験を受けることになり、諸岡さんに相談すると、勧められたのはジョン・ピアースのシャツ。

「小さい丸襟のクレリック・カラーという変わったシャツでした。3万円は高かったのですが、思い切って購入し、面接に着ていくと、ビームスの面接担当から必ずツッコミが入るのです。“おっそれウチのシャツだね?”と。当時ジョン・ピアースを扱っているのは、ビームスしかなかったのです。3次面接まですべてそのシャツを着て行き、毎回同じツッコミをされて、ついに内定を頂きました(笑)」

 こうして2005年にビームスに入社し、最初は銀座店で販売を担当しました。

「覚えなければいけないことがたくさんあって、大変でしたね。バックルームで検品しているときに、ふと先輩からシャツの腕にアイロンの線が入っていることを指摘され、『なんでそこにアイロン線が入ってんだよ。ダセえなぁ!』と言われたのです。もう、悔しくて涙しました。それからコツコツとメンズウエアのルールを勉強しました。革モノの色は揃える、ネクタイの先はベルトの半分まで、アイロンは自分でかける、などなど・・。コーディネイトがうまくいかなかった日は、店で新しいモノを買い、その場で合わせ直したりもしました。先輩に“お前こっちのほうがいいんじゃない?”と言われたら、即“ハイ、買います!”と返事して・・」

 今でも洋服に対する“熱さ”はビームスの真骨頂ですが、その頃は、往年の洋服屋のような“極度の熱さ”がありました。

「夜8時に閉店、9時まで掃除をして、それから試着大会が始まることも珍しくありませんでした。そんなとき、よく先輩の裾丈を取らされたのですが、皆死ぬほど細かい。『おい、右だけあと3ミリ出せ』とか『ダブル幅は4.3ミリな』とか・・」

 ビームスには、お洒落な人がゴマンといるのですが、それはこうやってお互いに切磋琢磨しているからなんですね。

 その後2012年にプレス担当となり、前出諸岡さんの部下になりました。

「何もかもが違って、まるで転職したようでした。無茶振りも随分ありましたね。編集者やスタイリストの集まる飲み会で、『何か面白いことをやれ』と言われ、なぜか“詩吟”を歌わされたり(笑)」

 業界のルールを覚えるのも大変だったともいいます。

「どうやって雑誌が作られていくのか、どうやってお金が回って行くのか、その仕組みを理解するのが大変でした」

 あ、それ、私もまだよくわかっていません(笑)

 この仕事の面白いところは? との問いには

「いろいろな面白い人に会えるところです」と。

「ショップだとお客様とはプライベートな話は滅多にしません。店員はあくまでも“下”の立場ですから。しかしプレスとメディアは、フラットな関係です。例えば、MEN’S EXの平澤さんやライターの小曽根くんは、私の家に遊びに来たことがあります。またなぜかリノベーション中の自宅をライターの山下さんと平澤さんで見に来たこともあります。呑んでいて、たまたまそういう話になったのですね。真っ暗ななかを、懐中電灯で照らしながら探検しました」

 最近では文春とのコラボ、特に新谷学さんとの出会いが面白かったとか。新谷さんとは安武さんも交えた十数人で、先日食事をさせて頂きましたが、颯爽とアメトラを着こなすファッショニスタで、あのスクープを連発する週刊文春に、こんなにおしゃれな人がいるんだと感心しました。

 安武さんは実は私のご近所さんでもあります。歩いて7〜8分くらいかなぁ? 今度ぜひ飲みに行きましょう。安武さんと私の年の差は、実は20歳もあるのですが、そういう若者と、“フラットに”話せる編集者という職業も、なかなかいいものです。

 

THE RAKE
https://therakejapan.com/

PROFILE

松尾 健太郎

松尾 健太郎

THE RAKE JAPAN 編集長


1965年、東京生まれ。雑誌編集者。 男子専科、ワールドフォトプレスを経て、‘92年、株式会社世界文化社入社。月刊誌メンズ・イーエックス創刊に携わり、以後クラシコ・イタリア、本格靴などのブームを牽引。‘05年同誌編集長に就任し、のべ4年間同職を務めた後、時計ビギン、M.E.特別編集シリーズ、メルセデス マガジン各編集長、新潮社ENGINEクリエイティブ・ディレクターなどを歴任。現在、インターナショナル・ラグジュアリー誌THE RAKE JAPAN 編集長。

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