BLOG / Kentaro Matsuo

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飛田直哉さん

2020.09.25

飛田直哉さん
NH WATCH 代表取締役

 久しぶりのブログ更新となります。コロナ禍で対面取材がなかなかできず・・。一日も早くこの災厄が終わってくれることを祈るばかりです。

さて、今回ご登場頂いたのは、NH WATCHの飛田直哉さんです。長らく時計業界におられ、ジャガー・ルクルト、ブレゲ、エベル、ヴァシュロン(当時はバセロン)など、さまざまな高級ブランドを扱われてきました。営業、セールス・プロモーション、PRなど、いろいろな分野を統括され、F.P.ジュルヌやラルフ ローレン・ウォッチでは、日本代表も務められました。まさにプロ中のプロです。
そして私がいま最も注目し、一番欲しい時計“NAOYA HIDA &Co.”を作っている方でもあります。時計関係者以外でNAOYA HIDA &Co.の名前を知っている方は、まだあまりいないと思いますが、もうすぐ大ブレイクすると思いますよ。その理由は、後ほどお話しましょう。

私が飛田さんと知り合ったのは、時計関係からではありません。実は毎年、オヤジだけで集まる“上野韻松亭・花見の会”というのがあって、そこでお目にかかったのが初めてでした。以来、かれこれ10年以上、毎年一緒にお花見をし、酒を酌み交わし、
「この1年間、どうでした?」なんて話をしてきたのです。

ある年、宴の席で飛田さんが突然、
「会社を辞めて、自分のウォッチ・ブランドを立ち上げようと思います」と切り出しました。当時の飛田さんは、宝飾・時計の世界的コングロマリット、リシュモンにお勤めでしたが、そこを退社して、自ら時計製作に乗り出すというのです。しかも、狙うのは最高級時計市場。その話を聞いて、その場にいた面子は全員、「止めたほうが、いいんじゃないかなぁ・・」と内心思いました。

高級時計業界というのは、最も成熟したマーケットのひとつです。欧州を中心に、パテック、AP、ブレゲ、ロレックスなど、長い歴史とストーリーを誇るブランドがひしめきあい、そのステイタスは圧倒的です。汎用時計では大きなシェアを誇るセイコーやシチズンといった巨人たちでさえ、この分野では“これから”なのです。飛田さんがいくら時計とそのマーケットに詳しいからといって、一人の“脱サラ組”が付け入る隙は、まったくなさそうに思えました。

左:NH TYPE 2A ケース径:37mmケース厚:10.7mm  ケース素材:SS(904L)
風防:カーブドサファイヤクリスタル 裏面に無反射加工
¥ 2,100,000
NH TYPE 1C ケース径37mm ケース厚9.8mm  ケース素材:SS(904L)
風防:カーブドサファイヤクリスタル
¥1,850,000
https://naoyahidawatch.com/

 しかし、いまやNAOYA HIDA &Co.は、日本だけでなく、世界中の注目を集めつつあります。なぜでしょう? その理由は、ふたつあります。

 ひとつめの理由は、“エクスクルーシビティ”。日本語でいうと、“排他性”、“希少性”といった意味です。
「大手時計ブランドの製造個数は、年間数万〜百万個にもなります。そんなマーケットに正面から勝負を挑むのはありえない。ですから方向性を絞り、ウルトラニッチなところを狙おうと思いました。それなら、食べていけるかな、と」
 処女作であるNH TYPE 1Bの製造個数は、たった7個。SS製で200万円近いプライス・タグがついていたにもかかわらず、即完売しました。セカンドリリースのNH TYPE 1CとNH TYPE 2Aは、合計25個が作られ、これも予約完売です。
「製造本数を上げるつもりはありません。そうなるとセレブを入れて、宣伝を打って・・となっていく。そういったことは散々やりましたから、もういいのです」

 いまの富裕層の消費傾向を一言でいうと、“ないものねだり”です。他では手に入らないもの、ちょっとしかないものを手に入れたがるのです。なぜなら人に自慢できるし、何より投資として有利だからです。この傾向は海外の人に特に顕著です。
「2年目の25個のうち、14個は外国人に買われました。売れたのは、北アメリカ、シンガポール、ドバイなど。まさにTHE RAKEの販売地域とカブっていますね・・」
こうなると、もう止まりません。NAOYA HIDA &Co.は、第2のイチローズ・モルトになるのではないでしょうか?

 ふたつめの理由は“エセティックス”。といってもいわゆるエステとは違いますよ。“審美性”のことです。NAOYA HIDA &Co.は、その外装へのこだわりが、ハンパではありません。
初めての発表会のときに
「見て下さい。スモールセコンドとセンターが離れているでしょう? この距離感を出すために、わざわざヴァルジュー7750の自動巻きとクロノグラフ部分を取り去って、手巻き仕様としたんです。どうしても、ここを離したかったんです」と言われ、しかし正直、何のためなのか、よくわかりませんでした。

「リュウズはギザギザを、少し粗目にしたかったんです。パテックなどは22枚が多いのですが、ウチは18枚としました。インデックスの数字はすべて手で彫っています。そこへ人工漆を流し込むのです。TYPE2Aの針は厚めにしたかったので、ステンレスから削り出しています。しかしそのままだと重すぎるので、裏側は肉抜きしてあるのです。見えないですけど・・」

30年代以前のヴィンテージ時計をモチーフとしたTYPE 1C。ハンドエングレービングされたアラビア数字が美しい。スモールセコンドはセンターピニオンから離れ、エッジ近くに位置する。削り出しの針は、横から見るとかなりのボリューム感を持っている。

50年代のスイス時計にインスパイアされたTYPE 2A。文字盤が積層状になっており、奥行きが感じられる。ダイヤル外周のミニッツトラックは別部品をはめ込んだもの。よく見るとゲージはひとつひとつ切り込んで作られている。

サビに強いが加工が難しいステンレス904Lから美しく削り出されたボディと、粗目のギザギザを持つリュウズ。

 一体、何のためにここまでするのかというと・・、“美”のためなのでした。飛田さんが考える時計の美しさに、一切妥協せず作られたのがNAOYA HIDA &Co.なのです。そのソースは、主にヴィンテージ時計から取られています。
 世界には“目利き”が必ずいるもので、NAOYA HIDA &Co.の審美性をいち早く見抜いたのが、香港のマーク・チョーでした。
「ある日、彼からメールが来て定価で1Bを買ってくれました。本当に気に入ってくれているんだと感激しましたね。その後、彼のジ・アーモリーで、オンライン “ヴァーチャル・トランクショー”をやったら、それだけで7個も売れたのです」

 マークは現在、私の知っているファッション関係者のなかで、もっとも聡明な人間のひとりで、彼の説明を聞くと、私のようなボンクラでもNAOYA HIDA &Co.のよさがわかります。

https://youtu.be/a86yx0mPdgs

 飛田さんの審美眼は、そのコーディネイトにもよく表れています。
スーツは、ヴィックテーラー。なぜ、ここの服を選んだのですか? との問いには、
「自分より世代が下の人が作る服を、試してみたいと思ったのです」とは探究心旺盛な飛田さんらしいお答え。

 ネクタイとチーフは、ラルフ ローレン。
「ウォッチを扱っていた縁で、ラルフ ローレンのスタイルには影響を受けました。例えば今日、ボタンダウン・シャツにピンをしているのも、彼に教えられた着こなしです。ご本人には、ニューヨークの本社で、一度だけ会ったことがあります。本社は高層ビルのなかにあるのですが、エレベーターを降りると、ビルの中にいきなり中世の洋館がそびえ立っているのです。2フロアぶち抜きで。アレには驚きました」
 一番の思い出は、本人に褒められたこと。
「“日本は、他の国に比べて、ウォッチの売上がいいね。どうやっているのか、皆に説明してくれよ”と言われました。まぁ嬉しかったですね」

 シャツは、銀座のスタイルワークスでオーダーしたもの。
「ラルフローレンのパターンを持ち込み、作ってもらいました。しかし袖周りはブルックスのほうが好きなので、両方を混ぜているんです」と。さすがに隅々にまでこだわられています。

シューズは、靴職人・山口千尋さん率いるギルドにてオーダー。
「外羽根の部分が短いのです。そのほうがスマートに見えるかと思い、千尋さんと相談して作りました」
 何を隠そう、前述のお花見会を主宰しているのが、千尋さんなのです。他にクロノスの松崎さんを加えた4人がレギュラー・メンバー。毎回ゲストを呼びます。オッサンズ・ネットワーク侮りがたし、でしょ?(笑)

 やはり小さい頃から、モノづくりはお好きだったそう。
「中学生の頃に、ゴム鉄砲にハマりましてね。ほら昔、連射式のものもあったでしょう? アレに感銘を受けて、自分でオリジナルの連射式ゴム鉄砲を作ったのです。そうしたら、近所の模型屋が気に入ってくれて、売ってもらえることになりました」

 驚いたことに、初めての就職は、ご出身である京都のホームセンターだったとか。
「工具売り場、おもちゃ売り場など、いろいろ担当しましたよ。制服の赤いジャケットを着て(笑)。当時ミニ四駆が流行っていて、静岡のプラモデル見本市で、タミヤが巨大なコースを設営しているのを見て、“コレだ”と思ったんです。京都に帰って、ホームセンターの裏手にダンボールでコースを作り、“ミニ四駆を買ったら、週末のレースに参加できる”というキャンペーンをしたら、ものすごく売れた。今から思えば、コレが“セールス・プロモーション”ということに初めて興味を持ったきっかけでした」

 その後これまたびっくりなことに、ガレージキットの原型や映画の特撮セットを作る会社に入ります。
「ガイナックスの赤井孝美さんの下で、ミニチュアのお城などを作っていました。1988年の『ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ』という実写版のドラクエビデオ映画の製作に、下っ端として参加したのです。これには、あの庵野秀明さんも出演なさっているんですよ。とても面白い仕事だったのですが、夜中の2時まで働いて、吉祥寺のアパートで雑魚寝。朝になると、助監督が叩き起こしに来て、いつも蹴飛ばされて目を覚ましていました。3ヶ月間、休みは一日もなし。まさに地獄でした」
 日本のアニメ・映画界の“あけぼの”を支えてきたのは、こういった若者たちだったのです。

 しかし1990年に日本デスコへ移られてからは、時計一筋。ようやく大魚は水を得たというわけです。

 ちなみに取材当日、私が持っていたバッグは、英国ギデンとスイスの時計ブランド、エベルとのダブルネームで、購入後実家の押入れに入れたまま、20年間以上ずっと忘れていたものでした。3年前に、実家を大掃除しているときに、ひょっこり出てきたのです。ところが・・
「それは、私が日本シイベルヘグナー時代に、扱ったものです。ええ、間違いありません。当時エベルは、トータル・ブランドを目指しており、それぞれのジャンルの最高のブランドとコラボを繰り返していたのです。結局、一般販売はせず、銀座の交通会館でセールをして、関係者だけに売りました。そのうちのひとつを買われたのですね」
 そういえば、そうだったような・・。いやぁ、まったく忘れていました。今では、こんなカバンを作れる職人は、世界中どこを探してもいません(と、ユニオンワークスの中川さんが言っていました)。

 この話を聞いて、飛田さんとは、“不思議な縁があるなぁ”と思いました。同時に、この方の慧眼に尊敬を新たにした次第です。

そんなわけで、NAOYA HIDA &Co.は、私が今、“どうしても欲しい時計”なのです。将来にわたって価値をもつ時計だと、確信しているからです。しかし、飛田さん曰く、
「私の時計を買ってくださる方の多くは、50本は時計をお持ちですね」という言葉を聞いて、首をうなだれました。まさに、“新・富裕層”のための時計です。

 NAOYA HIDA &Co.は“これを買える人は、心底ラッキーである”と心から言えるブランドです。とりあえず、“彼とよき友人である”という事実だけで、満足しておくことに致しましょう(笑)

筆者・松尾の愛用するバッグ。実は飛田さんが、数十年前に手がけられたものだった。作りは最高だが、岩のように重い(笑)

 

THE RAKE
https://therakejapan.com/

PROFILE

松尾 健太郎

松尾 健太郎

THE RAKE JAPAN 編集長


1965年、東京生まれ。雑誌編集者。 男子専科、ワールドフォトプレスを経て、‘92年、株式会社世界文化社入社。月刊誌メンズ・イーエックス創刊に携わり、以後クラシコ・イタリア、本格靴などのブームを牽引。‘05年同誌編集長に就任し、のべ4年間同職を務めた後、時計ビギン、M.E.特別編集シリーズ、メルセデス マガジン各編集長、新潮社ENGINEクリエイティブ・ディレクターなどを歴任。現在、インターナショナル・ラグジュアリー誌THE RAKE JAPAN 編集長。

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