BLOG / Kentaro Matsuo

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山口信人さん

2019.09.25

山口信人さん
伊勢丹新宿店メンズ館 ラ・スカーラ テーラー

伊勢丹メンズ館の5階は、ルビナッチ、リヴェラーノなど、世界の超一流ブランドがずらりと揃う圧巻のフロアですが、その一角に、三面をガラスで囲まれた、大きな水槽のようなスペースがあります。中には作業台、ラック、アイロン台、作りかけの洋服などが並び、外の売り場からは、すべてが丸見えです。ここが今回ご登場のテーラー、山口信人さんの仕事場です。自らのブランド、ラ・スカーラを主宰なさっています。
「一日中このなかで作業しています。土日は特に人通りが多く、作業風景を見ている方も多いです。作業中も、きちんとした格好をしなければならず、足を組んで作業をしていると、すぐにスーツのズボンが擦り切れてしまいます。普通は仕立て屋では、きちんとした格好をしているのは表に出るカッターだけで、縫い子はジーパンやTシャツを着ているものなのですが・・」

こういう形で、デパートの中に常駐テーラーがいて、しかも自分だけのブランドを展開しているというのは珍しいと思います。私の知る限り、世界中でここしかないのでは? 
「修業先のミラノから帰国し、伊勢丹に入社したときは、一販売員でした。フツウに洋服を売っていたのです。服作りは休日や家に帰ってから深夜まで、自分のためのものを作っていました。そのうち世の中の流れが変わって、店内に工房が出来、修理などが持ち込まれるようになりました。だんだんとお客様が増え、洋服を受注することも多くなりました」
しかし当時の山口さんは、自らの服作りに悩んでいたといいます。
「私の仕立ては英国風だったのですが、人間の体の線が出やすいブリティッシュな服作りに限界を感じていました。西洋人が着るならそれでもいいのですが、前肩・いかり肩が多い日本人には、どうしても難しかった」

転機となったのは、ナポリのテーラー、ジェンナーロ・ソリートとの出会いでした。
「ソリート自身がトランクショーのために伊勢丹に来たのです。彼の服を見た瞬間、“この人の服は自由で、縫っていて楽しそうな服だな”と感動しました。その場で弟子入りをお願いし、ナポリまで習いに行ったのです。型紙を使わず、直接生地に線を描いてハサミで断つ裁断法の“直裁ち”は見たことがなかったのですが、工房では本当にそうやって作っていたので、ものすごく驚きました」
こうして、2014年に自らのブランド、ラ・スカーラを立ち上げたのです。

“ファッションの伊勢丹”には、大勢のお客様が集まるし、強力な外商部門もあるから、さぞや有利なお立場かと思いきや・・
「伊勢丹に洋服を買いにいらしたお客様が、そのまま私のところで服を作ってくださるということは、ほぼありません。これだけ有名ブランドが集まっている場所で、わざわざあまり知られていない私のブランドを選ぶ理由がないのです。また他の販売員や外商がお客様を連れてきてくれることもない。ほとんどのお客様は、今まで作って頂いた方のご紹介です」

なるほど、デパートのなかの独立したテーラーというのは、思った以上に厳しい世界なのですね・・。

スーツはもちろんラ・スカーラ。袖口の一つボタン、ダブルステッチなどのスポーティーなディテールと、フラップなしのポケットなどフォーマルライクな部分がミックスされているのが、ここの特徴です。
「ちょっとくだけた表情を出したいのです。ナポリでは、良くも悪くも『お前の作るものはキレイ過ぎる』と言われました。裁断面において、日本人が作るものはキレイです。イタリア人が作るものは決してキレイではないのですが、不思議なことに人が着たときに、着る人がキレイに見えるのです」

彼の服の真骨頂は、肩まわりにあります。実は私・松尾は典型的な日本人体型です。ひどい前肩&いかり肩で、ぜんぜんスーツが似合いません。スーツは西洋人のような、なで肩のほうが圧倒的に似合うのです。私が山口さんはスーツが似合う体型でいいですね、というと・・
「実は私も松尾さんとまったく同じ悩みを抱えているんです。前肩・いかり肩で、肩の長さも左右で違う。それをいかに自然に見せるかというところに注力しています。なで肩に見えると言われたのは嬉しいですね」と。

「このジャケットには、肩パッドや裄綿は入っていないんですよ。見た目は入っているように見えて、入っていないという・・アンコンだけど構築的な服なのです。ちょっと羽織ってみますか?」

そういわれてジャケットに袖を通し、驚嘆しました。軽い、そしてまさにフニャフニャです。こんな仕立てで、あんなシルエットを作り出しているとは・・。すべてが柔らかいので、肩まわりの動かしやすさは尋常ではありません。
 かつてオーダー服といえば、肩まわりをがっしりと掴まれるような着心地が特徴でしたが、新世代のテーラーは、ここまで進化しているのですね。

これを読んでいる方に強くおすすめしたいのは、今度伊勢丹へ行って、山口さんを見つけたら、彼自身が着ているジャケットを試着させてもらうことです。きっと驚くと思いますよ・・。

シャツはアットリーニ、タイはタイユアタイ。
タイピンはパリのハリーズ・バーのオリジナル。
「お土産でもらいました」

メガネはカトラー&グロス、
シューズはフランスのコルテです。
「コルテは今まで履いたなかでは、一番好きなシューズブランドです。仕立て服を作る人は英国の靴を好まれる方が多いのですが、私は王道よりちょっとハズすのが好きなので・・」

さて、山口さんと私にはいかり肩以外にももうひとつ共通点があって、それは同じ三多摩出身ということです。彼は八王子、私は日野。最寄り駅は高尾と高幡不動。京王線ラブ。
「八王子市民にとって新宿や原宿に出るのは冒険に近いのです(笑)。1時間以上かかるし。だから当時の僕の周りの人は、八王子からあまり外へ出ないんですよ。私も八王子の古着屋でばかり買い物をしていました」

文化服装学院へ入学した頃は、なんとパンク・ファッションにハマっていました。
「モヒカン頭でタータンのパンツを履いて、ドクターマーチンのブーツを履いていました。新宿の学校と高尾の自宅を京王線で通っていましたが、新宿あたりではともかく、終点に近づくと(地味な京王線の車内では)明らかに浮いていましたね(笑)」

山口さんは「子供の頃から早く自立したくて仕方がなかった」といいます。私も昔は同じことを考え、都心に移り住みましたが、実家の両親が死に、自分も50歳を過ぎてからは、不思議と日野に帰りたくなりました。やはり自分が生まれた場所というのは、特別なようです。

今度八王子で飲みましょう!

山口信人 Profile
1984年、東京・八王子市生まれ。
文化服装学院卒業後、大阪ファイブワン工業(現ファイブワンファクトリー)入社。テーラーリングの基礎を学ぶ。
その後、イタリア、ミラノへ。帰国後伊勢丹へ入社。
2014年、自らのブランド「LA SCALA」を立ち上げる。

THE RAKE
therakejapan.com

PROFILE

松尾 健太郎

松尾 健太郎

THE RAKE JAPAN 編集長


1965年、東京生まれ。雑誌編集者。 男子専科、ワールドフォトプレスを経て、‘92年、株式会社世界文化社入社。月刊誌メンズ・イーエックス創刊に携わり、以後クラシコ・イタリア、本格靴などのブームを牽引。‘05年同誌編集長に就任し、のべ4年間同職を務めた後、時計ビギン、M.E.特別編集シリーズ、メルセデス マガジン各編集長、新潮社ENGINEクリエイティブ・ディレクターなどを歴任。現在、インターナショナル・ラグジュアリー誌THE RAKE JAPAN 編集長。

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