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株式会社ウッドベリーコーヒー 代表取締役 / 木原武蔵良質な1杯のコーヒー体験が
世界を 「better place」 に変えてゆく

2021.02.17

2012年、21歳で起業し、用賀のDIYで造った1店舗からスタート。今や、代官山、渋谷、荻窪とお店を展開する木原武蔵さん。それぞれの個性を持つお店は多くの顧客に支持されて、カフェビジネスも、ロースタービジネスも堅調な中、2020年12月にオープンさせたオフィスも兼ねた荻窪店を拠点に、他店舗展開ではない、今までと違う新たな進化を模索中。MBAを目指したアメリカ留学から、志し半ばで帰国してコーヒービジネスに身を投じたいきさつ、そして、30歳という若い視点で考えるこれからのコーヒー、カフェビジネスについて、子供の頃まで遡りお話をうかがいました。

株式会社ウッドベリーコーヒー 代表取締役
バリスタ・焙煎士

木原 武蔵 さん

1990年、東京生まれ。MBAを目指しアメリカ、アーカンソー州立大学に留学中にスペシャルティーコーヒー文化に触れて帰国。2012年21歳の時に、用賀にWoodberry Coffee1号店をオープン。2020年12月オープンの荻窪店を含めて、用賀、代官山、渋谷にそれぞれコンセプトを変えて出店。ロースターとしても多くのカフェやレストランから支持されて、都内を中心にコーヒー豆の卸ビジネスにも展開。コーヒーカクテルにも力を入れるなど、既存のカフェとはひと味違う、新たなコーヒー体験を提供し続けている。

自営業よりビジネスエリートを目指した学生時代

--- 子供の頃のことについて教えてください。

生まれたのは世田谷区の深沢で、小学校4年から用賀に越して。両親は花屋を経営していて、お店は目黒区五本木にありました。

5歳から剣道を習いはじめて。「武蔵」という名前にかけたのか、親にやらされた感じでした。後は、両親の花屋のお手伝いをしてました。子供の頃は自分にとってお店が生活中心の場で、いつもそこにいた記憶があります。

中学になると周りの友達が塾に行きだして、自分も「終わった後にみんなと遊べる」と思い通いだしたら、勉強に対しても少し積極的になり。

中学3年生の時に東大の理系の方に家庭教師をして貰えることになり、その人との相性が良かったのか楽しく勉強ができて、成績もすごく伸びて。当時は成績表ほぼオール5、最後の定期テストでは学年1位にもなりました。

--- 高校時代はいかがでしたか?

公立の高校に狙いを絞っていたのですが、下見をした結果、おしゃれな雰囲気と、冷房が完備されていたのもポイントで、都立青山高校に進学して。

文化祭に力を入れる学校で、中でもOBに劇団四季の人がいたりするくらい演劇が有名でした。学祭の舞台が話題になりすぎて、著作権の問題等で海外から目をつけられたりしたなんて事もあったようです。

自分の中にも目立ちたがり屋の部分があり、舞台で演じることに没頭したり、軽音部に所属して、ギターとボーカルでエルレガーデン(ELLEGARDEN)なんかをコピーしたりしてました。

--- その後アメリカの大学へと?

実家がお店をやっていた事への反動なのか、「貧乏な自営業より高給のサラリーマンになりたい」そんな気持ちを抱いていて。外資系のコンサルタントとか、金融マンになりたいと思い始めて。

色々調べたら、MBAを取得してアメリカのキャリアフォーラム等に参加して、本国採用を狙う方が、エリートが集まる日本法人採用枠よりもハードルが低いという事がわかり。

留学費用の事もあるので、「特待生待遇があり公立」という条件で絞り込み、南部のメンフィスから車で1時間くらいのアンカンソー州立大学に入学する事になりました。特待生待遇で学費は半分免除されたのですが、代わり成績が落ちるとその待遇を失うので、点数を落とせなくて、、、結果大変でした。

勉強に追われつつも、長い休みを利用して、友人と3人でアメリカを車で縦断しました。映画学科のヤツがいて、ロードムービーみたいなものが撮りたくてカメラを回しながら。映像については戻ってからの編集作業が大変で、結局トレーラーを作っただけで終わりました。

--- 日本に戻られたタイミングは?

2011年3月に父が末期癌という事がわかり、その直後の東日本地震も重なり、3年生の半ばだったのですが、大学に籍は残して6月に日本に帰りました。

それからは母と父の看病に努めたり、友人の紹介で下北沢のカフェで働いたりしていたのですが、残念ながら翌年2月に父は亡くなりました。

しばらくしてアメリカに戻るか、日本に留まるか悩んだのですが、母親もかなり気落ちしていた事もあり、アメリカでMBAを目指す事は諦めて、日本での生活を選びました。

21歳で企業。用賀の1店舗から
コーヒー、カフェビジネスを展開。

--- 昔からコーヒーは好きだったんですか?

小さい頃、両親がいれてくれたコーヒーを飲んでいて、香りとか、ドリッパーの形や、コーヒーを淹れる所作なんかが好きだった事を憶えてます。

高校生になると家で自分で淹れることも増え。外ではスタバによく通いました。家のそばの店では受験勉強をしたり、学校のそばの店では、満員電車を避けるため朝早くに行って、登校までの時間潰しをしたり。

アメリカ時代も、キャンパス内にスタバがあって。後は、街には2件くらいしっかりとコーヒーを飲ませてくれる独立系のカフェがあり、そこによく通いました。

そのカフェで、コーヒーを淹れる人が変わると味がものすごく変化した事があり。同じ豆、道具でありながら、バリスタの感覚でこれだけ”美味しい”から”マズい”という振れ幅が生まれることに驚きを覚えて。それから“コーヒー”に、“コーヒーをいれる”という事に意識的になっていき。

自分でも色々試してみたくなり、部屋にエスプレッソマシンを買ったり、友人に振る舞ったりするようになりました。

【2020年12月オープンの荻窪店の1階のカウンター。】

--- コーヒー、カフェというビジネスを選んだきっかけは?

まずは精神的に辛そうな母の力になりたい気持ちもあり、そばに居ながら自分も生活の基盤を築けるように、地元でビジネスをはじめたいと思ってました。

そんな気持ちで日々を過ごしていた時、用賀を歩いていたら、たまたま空いているテナントを見つけて、その空間が不思議と心から離れず。そしたら、ある日その物件の雰囲気と、コーヒー、カフェというビジネスが頭の中でひとつに結びついて。

下北沢のカフェのバイトの時に、店舗の立ち上げを経験していたことも役立ち、事業計画書を作り、金利の低い世田谷区の創業支援資金でお金を借り、設計は高校時代の友達のお父さんにお願いして施工はDIYで、2012年の6月、21歳の時に用賀の1店目を開業させ。

店名、社名の『Woodberry』というのは造語で自分の名前『木原』を、『木=Wood』、『原(はら)→腹 (はら)→belly→berry』という感じで変換して名付けました。

【2012年オープンの用賀店。】

--- お店も順調に増えてますね。

2012年立ち上げた用賀の1店舗目がある程度軌道に乗り出し、まずは2014年に用賀でもう1店舗作りました。その後、2016年に代官山の槍が先交差点に出店して。

2019年に、知り合いがサンドイッチ店を経営していた、渋谷の並木橋近くの神社の参道にある物件を紹介されて、そこを渋谷店にしました。

【渋谷並木橋、氷川神社境内の落ち着いた通りにある渋谷店。】

渋谷店を作った後に、用賀、代官山、渋谷とバランスよく店舗展開できたので、用賀に2店は必要無いと思い、ひとつの店舗は売却しました。

渋谷店はテーブル席も多く食事もゆっくりできるお店で、しばらく焙煎機を置いていたのですが手狭になってきて。2020年、荻窪に一棟で借りられるいい物件を見つけて、年末に荻窪店をオープンさせて、焙煎機は今、荻窪店の1階で稼働してます。

あと、元々お客さんとして利用していたいただいていた、焼肉KINTAN等のレストラン事業を展開する株式会社カルネヴァーレの方から、青山骨董通りに2020年9月にオープンした『CBC(Coffee&Beef Carnivale)』のカフェスタンドのプロデュースを依頼され。立ち上げのお手伝いをさせていただき、今もコーヒー豆の提供等をさせていただいています。

【プロデュースを担当した骨董通りの『CBC(Coffee&Beef Carnivale)』】

ビジネスマンとしては失格かもしれませんが、出店によって売上は順調なのですが、どんどんお客さんにいいものを提供したいという気持ちが強く、こだわりが強すぎるのか利幅はまだまだ薄いです。

--- ロースタービジネスについては?

カフェとして利用していただきながらも、店頭で豆も結構売れるような状態が続き、店をはじめて2、3ヶ月した頃に焙煎を自分でやらないとやっていけないと感じはじめて。

【荻窪店の物販スペース。】

2012年の6月に用賀のお店をはじめて、数ヶ月後には小さい焙煎機を購入して まずは色々自分なりに試行錯誤を繰り返して。なんとなく方向性が見えてきた ので、2013年の2月頃に今も用賀店で使用している焙煎機を購入しました。

店舗数が増えたり、店頭での販売も好調で、後は知り合いから豆を卸して欲しいという声もあり、渋谷店にさらに大きなものを置いて、それを今、荻窪店の1階に移して稼働させています。

もう少し大きな焙煎機に荻窪店のものを入れ替えたいのですが、海外に発注しなくてはならず、今はタイミングを見ている状態です。

【1棟物件の荻窪店の1階。奥にはゆとりのある焙煎スペース。】

新たなコーヒー体験を目指して

--- ご自分のコーヒーの特徴、こだわりとかありますか?

Woodberryらしさって聞かれると結構困るんですよね。スペシャルティコーヒーと呼ばれている世界では日本では割と立ち上げが早かったこともあって、他のお店との差とかあんまり気にしないで続けてきたと思っています。

自分たちが“こうしたい”という感覚よりも、お店に通っていただいているお客さんが何を好まれるか、どうしたらお客さんにさらに美味しいと感じてもらえるか、そんな事を意識しながら、店頭でコーヒーを提供しているスタッフと話し合いながらテイストの方向性を決めている感じです。

あとは、ワールド・バリスタ・チャンピオンシップのような大会には2013年から積極的に参加しています。進化を続けているコーヒーの“今”を肌で感じられるし、“自分たちの思っている美味しい”と“みんなの美味しい”がズレていないかを確認できる場でもあります。

スタッフにも積極的に参加して貰っていて、自分のスキルを検証しつつ、それを日々のお客さんへのサービスの質に結びつけてくれたらと思っています。

--- コーヒーカクテルにも積極的ですよね。

バリスタという言葉の語源は、イタリア語の『bar+ista(サービスを提供する人の意)=barista』で、コーヒーだけの言葉ではない、そんな意識が昔からあり。

下北のカフェ時代にお酒を扱っていた事と、渋谷店のカウンターを生かしたかった事、そしてコーヒー豆の魅力をアルコールによって引き出してみたいと思っていた事、それがきっかけでした。

ジャパン・コーヒー・イン・グッドスピリッツ・チャンピオンシップという大会のコーヒーカクテル部門にもエントリーしたりして常に新しい可能性を探りながら、アルコールによってまた違ったコーヒー体験を提供できればと思っています。

--- 店舗の空間について意識していらっしゃることは?

自分自身はインテリアとかのセンスが無いと思っています。ただ、“綺麗にする”とか、“清潔にする”という意識はバリスタの大会のお陰か強いかもしれません。

大会だと、粉を少しでもこぼしたり、カップとかエスプレッソマシンに余分な指紋がついたり、無意識に自分の鼻とかを触ったりするだけで減点の対象になります。

店舗でいうと、同じところに同じものが置いてあること。当たり前のことなのですが、それができていないと、モノを探すという無駄な時間が生まれ、スピードが大切なコーヒーの味に大きく影響してしまいます。

店舗ごとの特徴としては、用賀はアメリカをイメージしていて、代官山はスタッフと弾丸視察旅行に行ったオーストラリア、メルボルンの雰囲気。渋谷店は食事や、アルコールも楽しんでいただけるような少しゆとりのある空間。

新店舗の荻窪は外部のデザイナーさんにしっかり入っていただき、1階に焙煎機とカウンターとキッチン、2階がゆったりと過ごしていただける飲食エリア、3階にバーとオフィスを配しました。屋上もあり、ゆくゆくはお店で使うハーブや野菜を有機農法で自家栽培しようと思っています。

【使い方を検討中の荻窪店の屋上スペース。】

--- 今後、展開していきたい事は?

コーヒー豆はインポーターさん、エクスポーターさん、商社さん等を経て、僕らの手元に届くのですが、お客さんに自分達の考える最良の状態でコーヒーを届けることを突き詰めてゆくと、コーヒーの栽培、輸入等の領域が視野に入ります。

自分達がお客さんに喜んでいただけると思う味を作り上げる為には、アフリカ、コロンビア等々産地の特徴でコーヒーの味を決めるのではなく、そこから自由になり、自らが栽培から関わり、クオリティ、テイスト、コストをコントロールできる環境が必要なのでは、そんな事を考え始めています。

コーヒーショップってお店の数を増やしてチェーン化してゆくか、1店舗で拘りを突き詰めてゆくか、その2択しかないイメージが強いと思うのですが、それとは違う進化を続けていけたらと思っています。

--- ますます忙しくなりますね。

僕らとして最優先している事は、どのようにしたらお客さんが美味しいと感じていただけるか、新しいコーヒー体験をしていただけるかです。その為に、1杯のコーヒーを淹れるまでの全ての工程について、こだわりたいという気持ちがあります。

写真って、カメラ、レンズの性能がまずあって、それをベースにテクニカルな要素、シャッタースピード、絞り、ピント等を決めてシャッターを切り、イメージを作り上げますよね。

コーヒーも、粉の種類、質、大きさから始まり、お湯の温度、挿れる際の時間のコントロール等々、バリスタの培ってきたやり方がある。両方とも、絵、味という感性的な、感覚的なアウトプットでありながら、そこにたどり着く過程に技術が、ロジックが存在しています。感性だけでも、ロジックだけでも成立しない、そんな厳しい領域で、お客さんに喜んでいただきながら結果を出せればいいですね。

ビジネス的な成長も大切ですが「to make the earth a better place…..」という言葉を店の片隅に書いていて、良質な栽培環境から生まれた豆を使い、丁寧に1杯のコーヒーを淹れて飲んでいただき、その時間をよりいい体験にしていただく事を通して、自分の、自分達の周りの世界を少しでも「better place」近ずけていけたら、そんな事も考えています。

【荻窪店の階段に記された「to make the earth a better place…..」の文字】

--- 最後に、木原さんにとってファッションへのこだわりとは?

昔は、結構好きで、アメリカにいた頃は好きなアイテムや古着を買ったり、それをネットで売ったりとかしていたんですが、今は、自分が店頭に立ったりする事もあるので、基本動きやすかったり、肌触りのいいオーガニック系の素材のモノを選ぶことが多いですね。

後は、友人のデザイナーの服を着たり。そのうちの一人のundecolatedの河野 貴之さんとは、コーヒー染のTシャツやエプロンを一緒に作る、そんなプロジェクトを進めています。

 

CHOSEN ONE OFFICIAL ACCOUNT

CREDIT

Interview & Photo : SUMIYA TAKAHISA

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