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(株) ONESTORY 代表取締役社長 / 大類 知樹日本各地に眠る驚きや感動、
そこに潜む物語を探して。

2018.01.12

大手広告会社の博報堂で数多くのキャンペーンを成功させた後、地方価値の新たな魅力を体感できる、日本のどこかで数日だけ開店する、プレミアムな野外レストラン『DINING OUT』を事業化した大類知樹さん。2016年に地域価値を創造する専門会社として設立した(株) ONESTORYの神宮前の新オフィスにお邪魔して、子供の頃のこと、広告会社でのキャリアと現在、そして、キッチンスペースも持つ新オフィスでの今後の展開についてお話をうかがいました。

株式会社ONESTORY 代表取締役社長

大類 知樹 さん

1993年、博報堂入社。2012年、日本のどこかで数日だけ開店する、プレミアムな野外レストラン『DINING OUT』を事業化し、地域価値の新たな魅力を表現する。2016年、地域の価値創造に特化した(株) ONESTORYを設立するとともに、地方の本質的な魅力を掘り下げ、発信するウェブメディア『ONESTORY』を開設。雑誌『DISCOVER JAPAN』との共同プロジェクト『DESIGNING OUT』も展開中。



スポーツ、デザイン、仲間、「広告」との出会い

--- 小さい頃のことについて教えてください。

神奈川県の横浜と鎌倉の間の、旧戸塚区、今の栄区の新興住宅地で育ちました。小中高ともこの辺りの公立学校に通ったのですが、中1、中2の時だけ、父の転勤で仙台市に。

小学生の頃は、スポーツに夢中で、剣道や野球、サッカーの地元のチームに参加して、放課後は運動三昧。あと、大手広告代理店を辞めたアート・ディレクターの人が、美大志望の高校生や近所の小中学生を集めて、プライベートデザインスクールをやっていて、デッサンや写生、デザイン的なことを学んでいました。だから、一週間ほとんどスケジュールいっぱい(笑)。

中学時代は仙台でも、戻ってきてからもずっとテニス部で、これまたテニスばっかりの日々。その反動なのか、高校に進学すると部活に打ち込むことはなくなり、超下手くそなバンドやったり、授業サボって、原付バイクで仲間と江ノ島に行ったり、校内のトイレの天井裏に隠れ家をつくったり、、、。進学校の中で、勉強が嫌いな7人くらいの仲間が集まって、自称クリエイティブな遊び(笑)をしてました。当然、みんな浪人して、それぞれ大学に行くんですが、就職は不思議と、テレビ局、新聞社、出版社、広告会社等々、みんなマスコミに進んで行きました。

--- 広告ビジネスに興味を持ったのは?

僕は、青山学院大学に進んだのですが、「キリスト教概論」というのが必修科目で、レポートを書く為に、大学の図書館でキリスト教関連の棚を見ていたら「イエスの広告術」という変わったタイトルが目に止まり・・・。

目を通すと、アメリカのコピーライターであり、広告会社BBD(現BBDO)の設立者のブルース・バートンが著者で、キリスト教の教えやその伝搬を、コミュニケーション論、広告論として紐といたものでした。

内容が劇的に面白く、興奮気味に一気にその場で読み切りました。翻訳者のプロフィールを見ると、偶然にも青学の小林保彦教授だったんです。すぐに先生に会いに行き、そのままゼミにも入れてもらいました。そこからは、ひたすら「広告」や「コミュニケーション」、「クリエイティブ」を考えることが面白くて、アルバイトも広告の制作会社でした。ほとんど毎日、「広告」に触れる生活で、気づいたら、広告代理店に就職してました(笑)。

--- 博報堂に入られてからは、どのようなキャリアを?

博報堂に入社して最初は、関西支社の新聞局に配属されました。広告会社のメディアセクションの新人の仕事は、通常は、広告枠のバイイングが中心なんですが、当時の関西支社はかなり自由な雰囲気で、並行して企画業務もやらせてもらえました。毎日、新聞社の広告局に通うんですが、時間を見つけては、編集局に遊びに行って、政治部、経済部、運動部、文化部の記者の方の話を聞いたり、販売局に行ったり、時には読者サービス窓口まで、“パトロール”と称して、顔を出してしました。新聞社って、いろんな専門部署があって、企画のネタの宝庫だったんです。

そんなパトロール活動が最初に実ったのが、入社2年目に創った「こどもの日企画」です。読者サービス担当の方から、「読者の赤ちゃんの顔写真を毎日2,3人ずつ載せてるんだけど、依頼が多すぎて載せきれない」と。一方で、広告局の方からは、「ゴールデンウィーク中は、広告が埋まらないんで、なんとかならないか」と。

であれば、5月5日に、見開き2頁使って、「こどもの日特集」をつくって、載せきれない赤ちゃんの写真を一気に載せちゃおうと。特集の下は広告スペースにして、ゴールデンウィークに毎年やってるイベント告知に使いませんかって、子供服メーカ-に提案したんです。そしたら、その場でOKとなって。この企画は、読者からの反響も大きく、子供服メーカーのイベントの売上増加にも大きく貢献し、その後数年間に渡ってレギュラー企画になりました。新聞社の広告局からも、読者サービス担当者からも、クライアントからも、ものすごく感謝されました。

自分の考えた企画をクライアントが買ってくれて、メディアを通して、世の中に発信して、様々な反応がある。しかも、関わった人から感謝される。この快感たるや凄いもので、これ以降、頼まれてもいないのに、勝手に企画をつくっては、「こんなの考えたんですけど、どうですか?」って、いろなところに売り歩いてました(笑)。

東京に戻ってからも新聞局で、「日々是企画」の毎日でした。ある時、10月20日が『新聞広告の日』だと知ったんです。そもそも、「そんな日があるのか?」って感じだったんですけど、これは、企画の絶好のネタだと(笑)。新聞で一番重要なのって、一面じゃないですか。新聞社が、世の中で最も重要だと判断する記事が一面に載りますよね。年に一回だけ、10月20日だけ、広告が一面になる日があってもいいんじゃないかと。そうすることで、広告だって、大事な情報なんだよって訴求することができる。しかも、広告ビジネス的にも、高い価格設定が出来る。なんせ最も情報価値が高い一面なんですから。で、出来上がったのが「ラッピング新聞」という企画です。広告で新聞全体がくるまれているイメージから、そう呼ばれたんですが。この企画は、その年の新聞協会企画賞を獲りました。

様々な企画を考え、デザイナー、コピーライター、フォトグラファー、営業など、企画を具体化するチームを編成して、世の中に発信する経験を、若い時期に数多くやらせてもらえたことは、今のベースになってますね。



様々な領域を横断した企画立案

--- それからインターネットのセクションに?

新聞というメディアでは様々な企画を実現でき、自分の中でやり尽くしたような気持ちになり、2001年、その頃勢いが出てきたインターネットのセクション(当時のi-メディア局)に異動させて貰いました。当時のインターネットは、ブロードバンドにもなってないし、広告手法としても確立してなくて、毎日が実験で、トラブルの連続。そんな最中にもテクノロジーは日進月歩で進化して、新しいサービスがどんどん生まれていくという・・・。既存の確立したメディアとは全く異次元の世界でした。

そんな中、北米で、「BMWフィルムズ」という革命的な広告が世界中の話題をさらいました。テレビCMをやめ、30億円という広告予算のほぼ全てをつぎ込んで、ガイ・リッチーやウォン・カーウァイなど、大物監督7名を起用し、7本のショートムービーを製作して、ウェブで公開したんです。出演者もマドンナやミッキーロークなど、ハリウッド並みのキャスティングで。

「BMWフィルムズ」は、ものすごく影響受けました。その当時、模索していた“広告をコンテンツとして機能させる”ということの一つの解だったので。それから、担当していた自動車メーカーのキャンペーンでも、ヤフーとの連動企画としてショートムービーを制作しました。これは大きな反響があり、その年の東京インタラクティブ・アド・アワード(TIAA)で金賞をいただきました。

その後、何本もショートムービーを制作して、賞もいただいたんですが、徐々にネットのみということがつまらなくなってくるんですね。まだ、テレビの影響力が大きい時代ですから。そこで、今度は、TV番組とネットの連動企画をプロデュースしていくことになるんです。

大類知樹

【新オフィス:神宮前5丁目、遊歩道沿いのテナントの2階。3階はカフェ・カンパニー(株)


--- メディアを横断した動きをされていたんですね。

そうですね。広告会社のメディア部門の組織って、メディアごとに縦割りなんですね。だから、その担当メディアを起点に発想する。だから企画も小さくなるし、有効性もエンターテインメント性も薄まるんです。僕の場合、もともと企画ファーストで、メディアはその企画を現象化させるための手段と思っていたんで、メディア横断は自然な流れでした。

当時は、コンテンツとして機能する広告づくりというのが自分として大きなテーマで、その概念を「コンテンツ・クリエイティブ」と名付けて、自論にしていました。プロジェクトには広告のクリエイターだけでなく、放送作家、脚本家、ドラマプロデューサー、小説家、雑誌編集者、映画制作者等々、様々なジャンルの方々に入って頂いて。この時期は、テレビ番組、映画、雑誌、ネットムービー等々、あらゆるコンテンツに手を出してました。

--- 具体的な事例を教えていただけますか?

大手のトイレタリーメーカーから、基幹ブランドの女性用シャンプーが、「ユーザーが高齢化してきて、販売もジリ貧になっている」という相談があって、リニューアルキャンペーンのプランニングに、僕も参加することになりました。

キャンペーンのハブ装置を“カワイイをつくる”ことをテーマにしたWEBサイトと設定して、それを実現させるために、20代前半の女性に絶大な人気のあった女性誌の編集スタッフとWEB系のプロデューサーやデザイナー、プログラマーなど、当時は珍しかった、紙媒体とデジタル媒体の合同チームを編成しました。シャンプーの広告というより、 “カワイイをつくる”ことに特化した新しいデジタルメディアを立ち上げた感じです。

このメディアのTVCMをつくったり、ファッションイベントとコラボしたり、かなり思い切ったキャンペーンでした。アイテムの売上も倍近く伸びて、結果的に大成功のキャンペーンとなりました。

【神宮前の新オフィス:飲食店なみのキッチンと、簡単なパーティースペースを併設】



代理業の壁から、新たな事業創造へ

--- 『DINING OUT』はどのような経緯で?

「コンテンツ・クリエイティブ」と称して広告のコンテンツ化を模索してきたんですが、当然ですけど、広告である以上、起点はクライアントです。でも、そろそろ、業界歴も長いし(笑)、自分起点で世の中に発信する機会があってもいいかなと。今までのキャリアで培ったコミュニケーションやコンテンツ制作のスキル、メディアプランニングのスキル、様々な外部のネットワークなど、すべてを動員して、自分起点で新たな事業を立ち上げたい。代理ではなく、オーナーシップを持って、世の中に提示したいなと思って立ち上げたのが、『DINING OUT』でした。

地域に着目したのは、2011年に格安運賃のLCCが日本にも参入して、地域への移動手段の選択肢が増え、「地域観光が面白くなるのでは?」という読みがありました。一方で、個人的に危惧していたのが、デジタル化とグローバル化の進展による「地域の均質化」ということだったんです。多様性の時代と言いながら、その地域特有のアイデンティティとか、ルーツみたいなものが希薄になって、どんどん均質化してきてるんじゃないか。地域の価値づくりは、日本の価値づくりに直結します。これは、取り組むに値する壮大なテーマだなと。

そこで、地域性を最も効果的に表現できるものとしてたどり着いたのが「食」でした。その土地の気候的要因や地理的要因、あるいは歴史的要因などを元に郷土料理になっていたり、食文化になっていたりする。「食」を切り口に掘り下げて行く事で、その土地の”らしさ”が浮かび上がると確信するようになり、『DINING OUT』という形に修練されていきました。

第12弾 愛媛県内子町 : 重要伝統的建造物群保存地区に2日間だけの屋外レストランが出現】


--- 『DINING OUT』の概要について教えてください。

一言で言うと、数日間だけオープンする野外レストランという形式をとった“地域の表現フォーマット”なんです。トップシェフやクリエイターを起用し、その土地の表現テーマに沿ったコース料理を創作し、その土地の自然や文化を新しい感性で切り取った演出と共に提供します。五感全てで土地のアイデンティティを味わっていだだけるイベントに仕立てています。

初回の新潟県佐渡はクライアントも無いまま、純粋な自社事業として、2012年10月13日(土)〜15日(月)、歴史ある大膳神社境内にある能舞台にて、薪能『猩々(しょうじょう)』の上演とともに、スペインの『エルブジ』での修業後、独自のフュージョン・スタイルを追求している山田チカラ氏が地元の食材とお酒を使用したディナーを提供する、という内容で実施しました。

第1弾 新潟県佐渡 : 大膳神社境内にある能舞台にて、薪能『猩々(しょうじょう)』の上演】


2回目以降は、沖縄県八重山諸島石垣島、新潟県佐渡市、徳島県祖谷(いや)、大分県竹田、静岡県日本平、佐賀県有田町、広島県尾道市、佐賀県唐津市、宮崎県宮崎市、北海道ニセコ、愛媛県内子町と続いています。(開催情報一覧 http://www.onestory-media.jp/post/?id=464)

第7弾 佐賀県有田町 : 器は、シェフのアンドレ・チャン氏の清流のイメージを地元の窯元、瑞峯窯が形にしたもの】


--- イベントはどのような流れで行われますか?

まずは、オファーのあった自治体に何度も足を運んで開催地を決め、リサーチを繰り返し、その土地を表現するためのテーマを導きだします。そのテーマに沿って、シェフ、ホストの人選をし、テーマをより具現化するための総合演出を考えるというのが大きな流れです。参加費15万円〜20万円(宿泊費込み)ほどなのですが、募集をかけるとすぐに定員に達する状況で、ありがたいことに日本中の多くの自治体からお話をいただいていて、すでに2018年度の開催地もすべて決定しています。

12回を通じて思うのは、エリア選定の決め手は、誘致いただいた自治体の熱意、さらに言うと、その担当者の方の思いによる事が多く、その「ひとりの熱意」を信じる事から全てが始まるような気がしています。回を重ねる毎に、地元とのチームづくりの方法論も精度を増し、イベント自体の完成度も上がっていくような手応えがあります。

毎回、料理はもちろん、参加者のみなさんをどのようにおもてなしして、どのように感動していただくか、その地域の表現として成立しているか、という演出部分には大きなエネルギーを使います。緻密な組み立てをしつつ、天気や気温、日没のタイミング等々、その場その場の臨機応変な対応をスタッフと実現しています。

第10弾 宮崎県宮崎市(青島) : 世界が注目する、神宮前3丁目の名店「フロリレージュ」の川手寛康シェフ】


--- サイト『ONESTORY』については?

『DINING OUT』はプランニングに膨大な時間がかかるので、年3回程しか実施できません。また、イベントという特性上その地域の多くの魅力をより凝縮して印象的に伝えるという手法になります。プランニング段階で取材、ヒアリングした膨大な情報の80%以上が手元に残るような状態でした。まずは、『DINING OUT』でお伝えしきれなかったその地域の魅力を、もっと届けたいという気持ちからサイトがスタートしました。

現在は、地域の魅力を伝えるメディアとして『DINING OUT』の開催地とは別のエリアにも取材に行き、「ONE SPOT」、「ONE TRIP」という考え方で、その土地の“ONE”と対峙し、深く丁寧に時間を賭けて取材をし、ONESTORYならではの切り口でその土地の魅力を伝えるようにしています。

ONESTORY : それぞれの地方の本質的な魅力を伝えるウェブマガジン 英語版 : http://www.onestory-media.jp/en/



新オフィスに集う人々との新たなる化学反応

--- 神宮前に構えた新オフィスの狙いは?

会社設立後は、赤坂の親会社のオフィスに同居してたのですが、セキュリティ等の問題もあり、料理関係者、生産者、地域の方々など、外部の人との交流が気軽にできる環境ではありませんでした。志向する事業の特性を考えると、もっと気軽に人々が集えるコミュニティスペースのような場所がほしいなと思っていたところに、カフェ・カンパニーの 楠本社長とのご縁もあり、キッチンも備えているこの神宮前のオフィスをお借りできる事に。

神宮前というエリアは、日本のカルチャーの発信拠点。多くの有名料理店もありますし、渋谷、青山からも近いので、地方の方、生産者の方、また、クリエイターの方々も気軽に足を運んでいただけるのでは、という思いもあります。 様々な異分野が混じり合う場として機能させたいですし、キッチンを活用して、生産者の方にお持ちいただいた食材を、近隣のシェフがここで調理して新たな一皿が生まれるとか、そんな新たな化学反応が起きて、ここを基点に新しいつながりやムーブメントが起こったらと期待しています。

--- ますます動きが加速しそうですね?

ONESTORYの全ての活動の根幹には、個人の強い思いや意志を応援したいというのがあります。うちの社員個々人の意志ももちろんですが、DINING OUT を誘致しようと、組織を超えて動く地方自治体の人だったり、地元で素晴らしく高い志で農林水産業に携わっている方だったり、日々、世界と戦っているシェフだったり・・・。そんな“個人の意志”を大事にしたい。

様々な個人の強い意志が、周囲を刺激して、共鳴が生まれ、大きなうねりとなって世の中を動かしていくんだと信じています。ONESTORYは、地域に関する個人の意志が大きなうねりとなるプラットフォームになっていきたいんです。

地域の話って、人口減少や、空家問題等々、マイナスな情報が散見されますが、関わっているそれぞれの個人の強い思いが、何かを変えていくと思いますし、自分もONESTORYを通じ、様々な活動で今までには無かった市場を切り開き、新たな地域価値の創造の役に立てればと思っています。


CREDIT

Interview & Photo : SUMIYA TAKAHISA

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