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弁護士 / 齋藤 貴弘法規制をアップデートして
新たなルールを確立する。

2019.10.30

戦後施行され、「客にダンスをさせる営業=風俗業」と規定した風営法。その規制は近年まで続き、クラブ、ダンスカルチャーや夜間経済(ナイトタイムエコノミー)発展の妨げとなっていた。その風営法の問題に取り組み、クラブ事業者、D.J、ミュージシャン、ダンスビジネス従事者、エンターテインメント業界、デベロッパー、政治家、官僚等々様々なステークホルダー、そして反対勢力との調整を行い、改正風営法の施行にこぎつけた弁護士の齋藤貴弘さん。静的なイメージが強い法律の世界で、法律、法規制を現代にアップデートし続け、新たな枠組みを作り続ける齋藤さんの、子供の頃のこと、風営法改正までの過程、今後のことについてお話をうかがいました。

弁護士

齋藤 貴弘 さん

弁護士。1976年東京都生まれ。学習院大学法学部卒業。2006年に弁護士登録の後、勤務弁護士を経て、2013年に独立。2016年にニューポート法律事務所を開設。個人や法人を対象とした日常的な法律相談や訴訟業務を取り扱うとともに、近年は、風営法改正を主導するほか、ナイトタイムエコノミー議員連盟の民間アドバイザリーボードの座長、夜間の観光資源活性化に関する協議会の委員を務めるなど、各種規制緩和を含むルールメイキング、新規事業支援に注力している。著書「ルールメイキング ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論」。

--- 2019年4月に出版された「ルールメイキング」 の反響はどうでしょうか?

風営法改正・ナイトタイムエコノミー分野での実体験をベースに、より広いフォーカスでルールメイキング・プロセスを体系化・ナレッジ化しようとしたのがこの本の目的です。結果、ナイトタイムエコノミー界隈だけではなく、ルールメイキングに関心がある法律家や企業家の方々からのフィードバックがたくさんあり嬉しいです。ルールメイキング分野は今確実に盛り上がってきていると肌で感じます。

--- ルールメイキング分野では今どのような動きがあるのでしょうか?

スタートアップ企業や若手の官僚や法律家中心に新しいルールメイキングのムーブメントが起きています。これまでルールメイキングは、力のある大きな企業や業界が中心的なステークホルダーだったと思います。運動論としては、いわゆるロビー活動として、既存業界の立場から、業界的コネクションを通じて政治や行政に対して陳情をしていく。

それに対して今起きているルールメイキングは、既存業界ではなく未来志向のスタートアップのイニシアティヴが増えている。未来の産業創出に向けた公益的なミッションステートメントを掲げ、世の中の共感を集めながらルールメイクしていく。陳情型からムーブメント型へのシフトとも言われています。石山アンジュさんや若手官僚などが中心になり発足した“Public Meets Innovation”での動きなどが例えばそのひとつです。風営法改正やナイトタイムエコノミーも未来志向のムーブメント型ルールメイキング・プロセスでした。

--- 当初、風営法ダンス営業規制は改正など不可能と言われていたようですが、実際、大変な労力だったのではないでしょうか?

そのような感想も多く頂きました。大変な労力に対する賛辞の声です。そのような感想をいただき、嬉しい反面大きな課題を感じてもいます。ルールメイキングを属人的な努力やスキルに収斂させないようにしないといけないなと。この人が頑張ったから実現した、類稀なるスキルを持つ人がいたから成功したというルールメイキングは、再現可能性が低い。ルールメイキングはもっと日常的で気軽なものとして広がっていくべきだと思いますが、そのためには「大変な労力」が伴うものであってはならない。

この本にも書いていますが、実際、僕は正義の味方的なヒロイズムやナルシズムが苦手で、どちらかというと平凡で目立たず、声も小さく、いつも眠そうにしている地味な人間です。こんな人間でも風営法改正にコミットできた、逆に地味な人間だからこそコミットできたという点が実は重要なポイントなんだと思っています。

--- お生まれは東京ですか?

東京の江東区で生まれました。父母とも福島から就職の為に東京に出てきて知り合い結婚したようです。父親は工業高校卒、母親は中卒です。エリート家系的なものとは真逆ですね。両親は共働きだったので、同居していた祖母に面倒を見てもらっていましたね。あんまり喋らない、地味な印象の子供だったと思います。

小学校5年生の頃、近所のギター好きの年上の人と知り合い、音楽に興味を持つようになりました。友達の兄ちゃんだったのですが、高校生だったのに腕にL.Aで入れきたというTatooがあって、かっこよかった。でも、すごいインテリで本棚には哲学の本がたくさん並んでいたり。そんな人に影響を受けて、中学2年の時に、楽器屋でとりあえず安いエレキギターを買って。すぐにそれでは満足できなくなり、親に学校で良い成績を収めたら援助してくれるという約束を取り付け、頑張って成績を上げて、ギブソンのセカンドラインの黒いレスポールを手に入れました。

--- バンドを組んでいらっしゃったとお聞きしたのですが?

やがて、周りの音楽好きの友人たちとバンドを組むことになり、近所の文化センターの音楽スタジオや近所のマンションの一室にあった楽器備付けの安いスタジに入って練習をしました。面白かったのが楽器備え付けのスタジオで、変な民族楽器やシンセサイザーなど触ったこともない楽器が自由に使えて、適当にいじりながらジャムバンドのようにセッションを夜通ししたのを覚えてます。

高校卒業後は進学も就職もせずに、レストランでウエイターのバイトをしながら音楽を続けました。御茶ノ水のディスクユニオンにメンバー募集の張り紙を出したら、奄美大島出身の人から電話がありました。当時はメールも携帯もなく普通に自宅に電話がかかってきて。会ってみたら気が合い、僕と、中学校からの友人と、奄美出身の彼とで3人でバンドを組み2年弱活動していくことになります。

中学校からの友人は、調子良くて適当なんだけどとても音楽のセンスが良く、ムードメイカーでした。彼は、僕がバンドを辞めた後、Cradleというジャジー・ヒップホップのユニットを組んで、Nujabes(ヌジャベス)と一緒に活動するようになりました。彼は今でも超メジャーなミュージシャンたちと音楽の仕事をしていています。奄美の彼は、その後ボアダムスのメンバーとしてフジロックに出演したり、ボアダムスのボーカルの方と一緒にハードコア・パンクバンドを組んでいたりもしました。バンドメンバー以外でも音楽を通じて仲間の輪が広がっていき、聴く音楽の幅も広がり、西麻布Yellowや芝浦Goldに行ったのもこの時期です。

そんな音楽漬けの生活をしばらく続けているなかで、音楽活動になんとなくマンネリを感じるようになりました。あれほど憧れた音楽漬けの生活だったはずなのに、実際に音楽だけになってしまうと退屈を感じてしまうという。

【弁護士を目指していた頃の齋藤さん】

--- それから弁護士に?

音楽とはできるだけ離れたことをしたいなと思うようになりました。職歴も無い自分が普通に就職してもアルバイトのような扱いしか受けないような気がして、何のバックグラウンドなくてもチャレンジできる司法試験に行き当たりました。

バンドから司法試験というと随分飛躍しているように感じるかもしれませんが、学歴も職歴もないなかで、試験に合格できれば道が開ける法律家はある意味で近く感じることができました。それまでもギターやベース、ときにドラムの練習にはかなりの時間を割いていました。暇さえあれば練習している感じでしたが、特にそれが苦になるものでもなく。勉強も同じノリで、楽器の練習のように自分なりに工夫しながら、日々の少しずつの進歩を楽しみにコツコツやっていました。器用で要領よく勉強できるタイプではないのですが、粘り強く継続するというのは得意なんだと思います。

--- 司法試験の受験はだれでもできるのでしょうか?

司法試験の受験には大学の教養課程まで経る必要があったので、大学の受験勉強を始めました。お金がなく予備校に通えなかったのですが、意外に楽しくてのめり込んで勉強することができました。それまで学校の勉強をちゃんとしたことはなかったこともあり、教科書に書かれていることの全てが新鮮でした。法曹の名門、中央大学含め受験した大学のほぼ全てに合格でき、立地的に通いやすかった学習院大学の法科に進みました。

--- 司法試験はすぐに合格できたのでしょうか?

大学3年の時に司法試験を初めて受験して一次試験は通ったのですが、二次の論文試験に苦戦しました。大学卒業後、司法試験の予備校でアルバイトをしながら受験勉強を続け、28歳の時に弁護士資格を取得することができました。いわゆる旧司法試験と言われる当時の合格率は2,3パーセント。ひたすら勉強にあけくれる辛い毎日でした。精神的に追い詰められていたこの辛い時期のことは今でも夢に出てきます。

--- 司法試験合格後はどのような生活だったのでしょうか?

合格してからは司法修習生となり、様々な地域に派遣されて実地トレーニングを1年間受けるのですが、僕は札幌に行くことになりました。比較的時間に余裕のある日々で、札幌の老舗クラブのプレシャスホールに行ったり、PROVOといったローカルのクラブに顔を出したり、音楽の師匠とも言える友だちがやっていたミュージックバーに毎日のように出入りしたりと、音楽三昧の毎日でした。

そして東京に戻って、銀座の比較的少人数の、幅広い案件を取り扱っている法律事務所で働き始めました。法律事務所では基本的に朝から終電まで、週に何日かは深夜2時、3時帰りもざらという環境でひたすら仕事をしました。肉体的にも精神的にもハードでしたが、このときに妥協せずに仕事をしたために弁護士としての基本的なスキルと自信を身につけることができたと思っています。

--- 風営法の問題を意識したきっかけは?

日々、弁護士の業務に追われていたのですが、弁護士として音楽にコミットしたいという思いは常にありました。例えば、著作物の利用や流通を促進しようとする「Creative Commons」の手伝いをしたり、受験勉強中にずっと聴いていたL.Aのインターネットラジオ「dublab」と「Creative Commons」とのコラボイベントをしたり。忙しかったけど、バンドとは違ったアプローチで音楽に接することはとても新鮮で楽しかったです。そんななか、2011年頃にアメリカ村を中心とした大阪全域や京都でのクラブの大規模摘発の話を友人経由で知り、風営法の問題を強く意識するようになっていきました。

風営法は、戦後間もなくの1948年に施行された法律で、当時はダンスを媒介として売春を斡旋するような営業を行う店舗等もあり、「客にダンスをさせる営業」を風俗営業として規制されたと言われています。風俗営業をするためには、公安委員会の許可が必要で、地域、時間、店舗の構造等の規制もあり、日本の多くのクラブ事業者は、法的にはグレーゾーンでの営業を強いられている状況でした。警察とのバランスのなかで成り立っていた業界だったのですが、そのバランスが崩れ存亡の危機に晒されている。当時はまさにそんな状況でした。

ダンスミュージック専門誌「FLOOR net」からインタビューを受け、風営法の問題点を指摘ました。業界内で風営法はある種タブー視されている状況で、メディアで公に語られるということはそれまでなかったと思います。多くの方が、このとき初めて風営法という法律を知ったのではないでしょうか。この記事はすごいスピードと回数でSNS等で拡散されていきました。

--- それから風営法改正に本格的にお取り組みに?

風営法改正のプロセスは、本「ルールメイキング」にも書いていますし、他のインタビュー記事にも書いているので、関心ありましたらぜひ読んでみてください。冒頭に少し触れた新しいルールメイキングのプロセスそのままです。署名運動等で世論を喚起し、クラブ保護だけではなく、ダンスカルチャーの推進や、夜間経済といった公益的なキービジョンによって広いステークホルダーの共感を集め、政治家とのネットワークなどの法改正に必要なリソースを確保していく。

都市開発や観光、広くエンターテインメント業界などと一緒に、未来に向けてどのような産業や文化を作っていくべきかという未来逆算型思考をしていく。政治力や資金力もないクラブ業界が政治を動かして法改正を実現するためには、未来の可能性を論じて、未来の産業を一緒に作っていけるような仲間作りが絶対的に必要でした。

先にカリスマ的なリーダーシップや類稀な才能は必要なく、むしろ凡人だから風営法改正にコミットできたという趣旨のことを述べました。共感を集めるために必要なのは、ある種の弱さです。ヒロイズムやナルシズム的なリーダーシップは邪魔でしかありません。

このような運動のなかで、超党派約70名の議員により、「ダンス文化推進議員連盟」が発足し、治安悪化を盾に反対する勢力の揺り戻しもあったのですが、夜間市場の拡大という成長戦略が経済成長を志向する政府の方針とも合致したこともあり、改正風営法は、2015年6月17日成立し、2016年6月23日施行されました。

--- 著書の中では、世界の都市のナイトタイムエコノミーについての記述がありますが?

ナイトタイムエコノミーを上手にマネージメントしているアムステルダムで開催された「ナイトメイヤー・サミット」に参加し、夜間産業のグローバル・リーダーたちとのネットワークの構築に努めています。今は元アムスのナイトメイヤーのミリクさん、ベルリンのクラブ・コミッションのルッツさんに世界中の知見をシェアしてもらっています。

ナイトメイヤー(夜の市長)の役割は、中々理解されにくい夜の価値を生み出している夜間産業の事業者の窓口として、彼らの要望を行政、政治家と交渉すること。このナイトメイヤー制度は欧米を中心に広がりつつあり、各都市の夜間経済を活性化しているとともに、住民とのトラブル等の問題を円滑に解決しています。

日本でも、議員、省庁、民間から多様なメンバーを集めた「ナイトタイムエコノミー議連」が設立され、自分も民間アドバイザリーボードの座長という立場で参加して、海外の事例をフィードバックしたり、様々な方向からナイトタイムエコノミー推進に向けた政策を議論していきました。

--- 海外で注目している活動はありますか?

アムステルダム、ベルリン、イビサ、ニューヨークにロンドン等々、本でも色々と紹介していますが、それぞれの都市で戦略が全く異なるように思います。都市ごとに全く異なるアイデンティティを持つので、ナイトタイムエコノミー推進の手法も異なります。

これらの都市を参考にしつつも流されすぎず、日本も日本の様々な地域にフィットした推進策を検討する必要があります。例えばコンテンツでいうと、日本には非常にユニークで強度あるものがローカルレベルにたくさんある。ここは深い歴史と多様な文化がある日本の強みだと思います。これをちゃんと成長させ、観光や都市開発に活かしていくためのエコシステムをどう強めていけるか。ここが重要で、先ほどのミリクさんとルッツさんとともに、文化、都市開発、観光を越境したエコシステム強化のためのリサーチプロジェクトなども進めているところです。

---齋藤さんご自身もDJとして活動されているようですね?

音楽ライターの原雅明さんとインターネットラジオの「dublab(ダブラブ)」 の活動の一環として、レストランとか、カフェとか、ホテルのラウンジとかでPOP UPのDJイベントを行っています。

クラブなどのクローズドなスペースではなく、より日常に近い場所で、DJがキュレーションした音楽を聴けるような環境を作るというコンセプトで始まった活動ですが、自分も長くDJとして参加してプレイしています。

日常に音楽をというコンセプトとは真逆なのですが、他方で、廃ビルや倉庫、夜中の映画館等々、来場者に驚きを与える「ユニークヴェニュー」でのイベントにも取り組んでいたりもします。より多くの人に、新たな音楽との接点を持ってもらいたいというのがモチベーションのひとつです。

【青山のバーveroniqueでD.Jをする齋藤さん】

--- オリンピックも控えて、着実にナイトタイムエコノミーの議論が盛り上がっているようですが?

最近、ナイトタイムエコノミーとか、夜の文化的、経済的価値とか、そんな言葉だけが空虚に一人歩きしているように感じます。自分でも散々そんな言葉を使っておきながら、天邪鬼かもしれませんが、果たして夜にそんなに立派な価値が必要なのか。価値があるから推進すべきというロジックを立てると、価値がなければ規制していいということになりかねない。価値のあるなしにかかわらず、様々な活動が自由にできる。逆説的ですが、それが夜の価値なのではないかと。

価値という言葉、概念に縛られて、夜本来の持つ、自由とか、猥雑さとか、空虚さとか、ある種の背徳感とか、言語化できない楽しみの本質がぼやけてしまっていて、表層的な議論が散見されているようにも思います。

本来、価値にとらわれず、無駄とか、無意味な事を楽しむ事に娯楽の源泉があるはずで、それぞれのそんな思いを多様に受け入れる街が、空間がより魅力的なのではないでしょうか。

--- これからの齋藤さんの活動について教えてください。

弁護士というと、法律というものに照らし合わせて、事案を機械的に処理してゆく、そんなイメージが強いと思います。ただ、時は流れ続け、社会は変化して、既存のルールがルールとして機能せず、間違った答えを導き出す、そんな事も増えています。

民間と、政策決定者との距離が大きいのも、このような事案が見過ごされている理由のひとつでもあります。そんな両者の橋渡しができればという思いで、冒頭でも紹介した、イノベーターと官僚、法律家からなる「一般社団法人Public Meets Innovation」という団体で、「既存のルール」、「公共」、と「イノベーション」の関係を検証するような議論を行っています。

規制緩和が進み、社会は「未来の風景が用意されていた時代」から「誰にもまだ見えていない風景を作り出せる時代」の過渡期を迎えていると思います。成長、変化、イノベーションを邪魔している課題を法律という視点から整理して、政治や行政に問い、次世代のために、新たなイフスタイルの為に、ルールメイキングをする役割を法律家が担ってゆく、そんな事のお手伝いを続けていきたいですね。

撮影協力 PR BAR   詩人の血(Le sang des Poètes)

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CREDIT

Interview & Photo : SUMIYA TAKAHISA

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