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TRANSIT GENERAL OFFICE 代表 / 中村 貞裕遊び場を通じて人を、街を刺激し、
そこにカルチャーを創造する。

2019.04.19

2001年に『トランジットジェネラルオフィス』を設立後、数多くの人気カフェの運営や、海外の人気レストランを日本で展開し、商業施設や鉄道、シェアオフィス等のプロデュースも行う中村貞裕さん。空間を作るだけではなく、ライフスタイルを刺激し、そこに新たなカルチャーを生み出し続ける中村さんに、子供の頃のこと、その発想の原点、近況、今後の展望等について、青山の中村さんのオフィスでお話をうかがいました。

TRANSIT GENERAL OFFICE 代表取締役社長

中村 貞裕 さん

1971年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、伊勢丹へ入社。2001年に「ファッション、音楽、デザイン、アート、食をコンテンツに遊び場を創造する」をコンセプトに『トランジットジェネラルオフィス』を設立。自社店舗の『Sign』をはじめ、ブランドのカフェの運営、また海外の人気店『MAX BRENNER CHOCOLATE BAR』、『ICE MONSTER』、『Guzman y Gomez』、『Longrain』、『THE APOLLO』などを日本で展開。商業施設や鉄道、シェアオフィス等のプロデェユースも行う。著書には「中村貞裕式 ミーハー仕事術」など。



「ミーハーさ」、「飽きやすさ」を、個性、武器に

--- 小さい頃はどんな子供でしたか?

1971年に生まれ、小金井で育ちました。父が早稲田大学在学中から起業し、家が事務所も兼ねていたので、僕が小学生の頃には従業員の方、その家族、そしてアルバイトの早稲田の学生が多く出入りし、時にはみんなで出前をとって食事をしたり、合宿所のような環境で育ちました。バイトの学生さんに遊んで貰ったり、流行りの音楽を一緒に聴いたりする中で、少し大人の世界に触れていたような子供でしたね。

父は常にビジネスチャンスを探している人で、周りの人や僕に「何が流行っているんだ?」、「何か面白い事ないか?」と聞くのが日課で。そんな父との会話の中で、自然と自分も流行に敏感になったり、ビジネスアイデアを考えたり。

性格は少し移り気な所があり、バスケ、スケートボード、ギター、テニス、D.J等々、流行りものに食いついては、すぐに飽きて。当時はそんな自分の「ミーハーさ」にコンプレックスを持っていました。

勉強が好きだったのと、周りに早稲田の学生が多い環境もあり、早稲田大学を目指し受験勉強していたのですが、高校生の頃にふと「慶応大学の方がモテるのでは?(笑)」と思い、慶応大学に志望を変え合格し。

大学時代は「東京いい店やれる店」というグルメガイドに夢中になり、そこで紹介されている店をかたっぱしから訪ねたりする中で、友達からも「何かいい店知らない?」と聞かれるようになり。その領域が、映画、イベントにも広がっていき、「流行のコンシェルジュ」のような存在として周りからは認識されはじめて。その頃からでしょうか、自分の中の「ミーハー」な部分を、個性として、武器として感じ始めました。

--- 百貨店時代のエピソードを教えてください

バブル崩壊後の就職氷河期でしたが、伊勢丹に入社が決まり。その頃、僕の恩師の藤巻幸大さんが、若手デザイナーの育成の場でもある「解放区」という売り場を立ち上げていて、その既成概念を壊していく姿に憧れを抱いていました。入社2年目を過ぎても藤巻さんのプロジェクトに加わることができずに、同じような毎日に焦りも出てきて、退職の意志を藤巻さんに伝えたら、「クビになってもいいくらいの覚悟で、やりたいことをやってから辞めろ」と言われ我に返り、思いついたのが「パーティー」でした。

藤巻さんとの交流の中で、様々なデザイナー、カメラマン、クリエイターの方々とお会いしていたのですが、名刺交換だけで、時間もなくフォローができないことがもったいないと感じていて。彼らを集めたパーティーを開いたら、「ビジネスの種が見つけられられるのでは」、というのが狙いで。

パリやニューヨークに行った際、昼間カフェだった店舗が、夜にはエントランスにカーテンを引き、D.Jが入り、パーティー会場に変わる姿を目にしていて、そのスタイルを東京で再現しようと。ラフォーレ原宿のそばのカフェデプレを借りて、その赤をベースにした内装を生かし、エントランスを赤い大きな布で囲い、「オーバーグラウンド・トウキョーサロン・ルージュ」という毎週金曜日夜10時スタートの招待制のイベントを行いました。1年半ほど続いて、様々なジャンルの方に来ていたき、来場者のリストは1万人を超えました。

「オーバーグラウンド・トウキョーサロン・ルージュ」は話題になり、週1回のレギュラーイベント以外に、ファッションイベントのアフターパーティーに出張したり、東京コレクションのショーやアフターパーティー、ショップのオープニングイベントをプロデュースすることになったり、イベント会社のような仕事まで手がけるようになり。

そんな頃、藤巻さんが会社を辞めることになり、自分としても、「オーバーグラウンド・トウキョーサロン・ルージュ」を通して出会った人々と伊勢丹の仕事もつながったりしていて、色々自分でもやりたい事もできたという事もあり、同じタイミングで、僕が30歳の時に会社を辞めることにしました。

【トランジットジェネラルオフィスと関連会社も入居している表参道「PORTAL POINT AOYAMA(ポータルポイント青山)」

 

カフェから始まった、様々なビジネス

--- それからご自身でカフェをオープンすることに?

当時はカフェブームの始まりの頃で、仲間と話している中で、「自分たちのカフェを作ろう」という話になり、父が店の倉庫として借りていた、外苑前の交差点に面したビルの5階の、窓から青山通り沿いの景色が綺麗に見える空間で「仕事の後にミーティングできるカフェ」というコンセプトで『OFFICE(オフィス)』という店を立ち上げて。

エレベーターのないビルの5階という立地ながら、人脈のある人達に日替わり店長をやって貰ったり、人気D.Jにプレイして貰ったり、オープンから多くの人で賑わうスペースになりました。

その勢いで、同じビルの父の経営していた1階、2階の店も自分達がカフェとして運営することになり、2001年に外苑前の目印になって欲しいという思いで『Sign(サイン)』と名付けオープンすると、そこも大人気に。すぐに代官山の駅のそばの商業ビルの担当者から声がかかり、代官山に2号店を出しました。

【現在の代官山「SIGN ALLDAY」

--- 自社の店舗以外に、様々な施設のプロデュースをされることになった経緯について教えて下さい

設立したばかりで会社は小さかったのですが、カフェブームということもあり、メディア等によく紹介され、注目していただいたデベロッパーから、目黒のホテルのリノベーションプロジェクトに誘われることになり。2003年にオープンした「ホテルでどう暮らすか」がコンセプトの『CLASKA(クラスカ)』という名の施設で、海外のホテルのように、ロビーに人が集まれるように、カフェラウンジ『The Lobby(ザ・ロビー)』を作り、D.Jブースを置き、週末にはホテル側でパーティーを主催し、「ホテルで遊ぶ」という新しいライフスタイルを提案し、結果、多くの人に利用していただける場になりました。

このプロジェクトで、支配人になって貰ったのが、もともと外資系ホテルにいてブランドのパーティーも担当していた人間でした。当時、多くのハイブランドが大規模な旗艦店を都心に作り始めた頃で、彼の人脈もあり、色んなブランドから空間プロデュース、カフェ運営の依頼をいただくことに。それからは、車メーカーや商業施設等からも仕事を頼まれるようになり、空間をプロデュースし、そこの委託運営をするビジネススタイルが形になっていきましたね。

【有楽町、阪急メンズ館 東京B1F、東京のフードカルチャーを代表するトップシェフが喫茶店メニューを考えたネオ喫茶「KING」

周りにアパレルの関係者が多く、声をかけられ時々ケータリングのお手伝いはしていたのですが、ある時ハイブランドのパーティーでの仕事を頼まれた際に、アテンドのスタッフにイケメンを集め、ランウェイのようなカウンターを歩かせてサーブさせたら話題になり。それからは、ファッションブランドのパーティーからの依頼が増え、ケータリングビジネスも広がっていきました。

--- 海外の話題のレストランを、数多く東京で展開されていますが?

『bills(ビルズ)』の場合は、創業者ビル・グレンジャーの日本でのマネージメントを担当するPR会社から試食会に声をかけていただき、その美味しさに感動して。手掛けていた七里ガ浜のレジデンス&ショップの複合施設『Weekend House Alley』の海の見えるスペースに出店して貰い大人気に。

その際に、合弁会社を作ってライセンスマネージメントを行うノウハウを学んで、それを、イスラエル発のチョコレートブランド『MAX BRENNER CHOCOLATE BAR(マックス ブレナー)』、台湾発、世界のベストスイーツTOP10に選ばれた『ICE MONSTER(アイスモンスター) 』、メキシカンダイナー『Guzman y Gomez(グズマン イー ゴメス)』、モダン・タイ・レストラン『Longrain(ロングレイン) 』、モダンギリシャレストラン 『THE APOLLO(アポロ) 』、バルセロナで一番美味しいパエリアを提供する『XIRINGUITO Escribà( チリンギート エスクリバ) 』等、横展開していきました。

【数寄屋橋の東急プラザ銀座 11階、オーストラリア・シドニー発のモダンギリシャレストラン「THE APOLLO(アポロ)」

このスキルは国内のお店にも通用するので大阪・堀江に7坪という小さな店舗で始まった『お好み焼き たまちゃん』、(青山、ルクア大阪)、博多でブームとなっている「うどん居酒屋」の代表格『二○加屋長介』(中目黒、大手町)も同じような形で出店しています。

これからの東京は、オリンピックも控え、ますますボーダレスな発展をしていくと思っています。すでに、海外で人気のギリシャ料理、タイ料理、メキシコ料理、スペイン料理のお店を東京で展開しているのですが、新たなエリアの料理を日本に持ってきて、「インターナショナル・フード」という世界を広げ、インテリア、盛り付け、スタッフのサービス、BGM等々、そのままニューヨークやロンドンに持っていっても通用するようなグローバルスタンダードなレストランにしていきたいですね。

オリジナル店舗運営、委託運営、ライセンス店舗運営と飲食ビジネスを展開する中で、社内には様々な人材とノウハウが蓄積されてきていて、社内からは小さくて上質なオリジナルのお店を作りたいという意見もあります。今、主に食べログ4点以上のお店を食べ歩くようにしているのですが、そこに新たなお店のヒントがあるのではと思っています。

--- シェアオフィスのビジネスについて教えてください

シェアオフィスのビジネスのヒントは、ニューヨークのブルックリンや、ロンドンのイーストエンドで、アーティストやクリエイティブなビジネスを手がける人たちが、古くて大きな倉庫のようなスペースを共同で借りて仕事場にしていた光景を見たことでした。

最初は湾岸エリアの青海で、世界最大級のSOHOオフィスビル『the SOHO(ザ・ソーホー)』のプロデュースを依頼され。様々なアーティストの意見を聞きながら“働く遊び場”をテーマに、屋上にバーやジャグジーを設置したり、今までに無いカラーのワーキングスペースとして成功を収めました。

この事業は主にグループ会社のREALGATEが実施しているのですが、『PORTAL POINT AOYAMA(表参道)』『THE WORKS(目黒区青葉台)』『LIFORK MINAMI AOYAMA(南青山)』等々45施設ほどに拡大し、今も様々なプロジェクトが動いています。

【「Little Darling Coffee Roasters」が併設された「SHARE GREEN MINAMI AOYAMA(南青山)」

 

ライフスタイルを刺激し、新たな文化を

--- 中村さんのお仕事は、メディア、口コミ等での発信力が強いように感じるのですが?

10年程前、七里ガ浜の『Weekend House Alley』のプロジェクトが始まった時は、あまり歓迎されていない空気でした。『bills(ビルズ)』、『Pacific DRIVE-IN(パシフィック ドライブイン)』『Pacific BAKERY(パシフィック ベーカリー)』とお店を出し、スタッフ達がゴミ拾いを続けたりする中で、お店も街に馴染んでいき、地元の人にも利用していただけるようになり、東京からの新たなショップも増えて、エリア自体が活性化して行きました。

【134号線沿いの海側に位置するドライブインカフェ「Pacific DRIVE-IN(七里ガ浜)」

そもそも、七里ガ浜の『Weekend House Alley』のプロジェクトの話を聞いた時に思い浮かべたのが、アメリカのドラマ「SEX AND THE CITY」の中で、平日マンハッタンで仕事をし、週末を郊外のハンプトンで過ごすというDUAL LIFE(デュアル・ライフ)とも呼べるライフスタイルでした。自分も七里ガ浜に部屋を借りて、週末はそこで過ごして、平日東京、週末湘南という生活を体感して。

情報を伝える上で大切なことは、お店、施設を単体としてただPRすることではなく、グルーピングすることだと思っています。メディアへのアプローチの際『湘南-東京のデュアル・ライフ』、『美味しい朝食を楽しむ生活』というように、イメージできるライフスタイルとともに、自分達の店だけでなく、他のお店も共に訴求していくことで、多くの人に興味を持って貰えますし、一時的な集客だけのブームで終わることなく、ライフスタイルに影響を与えるトレンド、エリア全体のカルチャーとして定着させることが可能になります。

--- 会社を「カルチュラル・エンジニアリング・カンパニー」と呼んでいらっしゃいますね?

自分の肩書きは、最初は「カフェオーナー」で、その後「空間プロデューサー」と呼ばれました。ただ、「空間を作る」だけではなく「運営」も行っていたので、何かピンとこなくて、「空間ブランディングプロデューサー」と名乗ったのですが、全く浸透せず。そのうち若い人からは、「パンケーキのひと」、「かき氷のひと」とか呼ばれ始めて(笑)。

その後、海外の知人から、「あなたのような人は、カルチャーを作っていく人なんだよ」と言われたり、エースホテルの創業者とお会した時の名刺に「カルチュラル・エンジニアリング・オフィサー」という言葉を見つけ、話をきいたら「空間・施設を作り、運営して、そこに集う人々と、そのエリアに新たなライフスタイルを生み出す人」という意味で、その言葉がしっくりきました。

トランジットジェネラルオフィス設立以来、食、ファッション、アート、建築、デザイン、音楽、イベントをコンテンツに「遊び場」を創造し、ライフスタイルを刺激し、東京に新たな文化を作ってきたのですが、今はそんな会社を「カルチュラル・エンジニアリング・カンパニー」と表現しています。

--- オリンピックも控え、ますますお忙しくなりそうですね

以前は「夢は?」と聞かれた時に、「できることが、やりたいこと」と答えていました。それは、常に会社も成長していて、日々「できること」が変化、拡大するので、「やりたいこと」を語ることに意味がないと思っていたからです。

今は、優秀な人材も集まって、スタッフも増え、「この会社が無かったら、東京がこんなかっこいい、おしゃれな街に成らなかった、こんなカルチャーは生まれなかった、そんな会社になろう」、「東京、日本、アジア、世界を代表するカルチュラル・エンジニアリング・カンパニーのひとつになろう」そんな事をみんなに伝えています。

思えば子供の頃の父からの「何が流行っているんだ?」という日々の問いかけが自分のミーハー心に火をつけたたような気がします。以前は、そのミーハーさをネガティブに感じていましたが、ある日、すごい才能を持つスペシャリストが「100(の才能)×1個」だとしたら、僕のようなミーハー、ジェネラリストは、「1(の才能)×100個」で、同じ100になれると気づき。

さらには、ミーハー心で培った人脈を使い、自分が中心になってプロジェクトを進めて、様々な才能を持った人とチームが作れれば、それは、1000にも、10000にも、大きくすることができる、そう考えるようになり引け目に感じることを辞めました。

先日も香港のアートバーゼルに行き、マカオにある建築家ザハ・ハディッドが手がけたホテルを見て帰って来たのですが、誰よりも早く、ハイトップレベルのミーハーとして、スーパーミーハーとして、世界中の様々な最新の話題のモノ・コトを自らが体感し、そこから新たなカルチャーの種を見つけていきたいですね。

 

CREDIT

Interview & Photo : SUMIYA TAKAHISA

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