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ワインディレクター / 大越 基裕世界中のワイン産地のリアルな胎動を、多くの人たちに伝えていきたい。

2017.10.26

日本を代表するグランメゾン「銀座レカン」のシェフ・ソムリエ、様々なコンクールでの受賞等々、ソムリエとしての輝かしいキャリアを経験後、ワインディレクターとして独立。世界の、日本のワイン産地に足を運び、最新の情報をコンサルタントやメディア、セミナー、イベント等でフィードバックしている大越基裕さん。2017年7月、神宮前3丁目に、ご自身で始めた、世界各国のワインや日本酒とベトナム料理とのペアリングが楽しめるモダン・ベトナミーズ An Di (アン ディ)で、今までのキャリアやフランス留学のこと、ご近況そして今後のことについてお話をおうかがいしました。

ワインディレクター

大越 基裕 さん

1976年4月24日 北海道札幌市生まれ。
国際ソムリエ協会 インターナショナルA.S.Iソムリエ・ディプロマ WSET Sake Level 3 & Educator
フランス国家認定上級免状、ブルゴーニュ大学認定醸造技師の資格も保有

渡仏後2001年より銀座レカンソムリエ、2006年より約3年間再渡仏し栽培、醸造の分野を学ぶ。帰国後同店シェフソムリエに就任。2013年6月ワインテイスター/ワインディレクターとして独立。世界各国を周りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や講演、執筆などもこなしてワインの本質を伝え続けている。ワインだけでなく、日本酒、焼酎にも精通しており、ワインと日本酒を組み合わせた食事とのマリアージュにも定評がある。
2017年7月4日、神宮前にモダン・ベトナミーズ・レストラン An Di (アン ディ) をオープン。

受賞歴
2003年 第1回 JALUX WINE AWARD 優勝
2006年 第5回 Cuvee Louise Sommelier Concour 第2位 等



バスケットボールと繁華街

--- 小さい頃のことを聞かせてください。

1976年、札幌で生まれて、父の仕事の関係で小さい頃は釧路や、旭川にも住んだことがあります。中学生からは、札幌に戻り、高校時代もそこで過ごしました。

スポーツが大好きで、小学生の頃は野球で、中学校からは、スラムダンクの影響もあり、バスケットに夢中になり、中高はバスケ少年でしたね。

札幌は繁華街が有名なこともあり、高校3年くらいになると、仲のいい先輩たちが大学生になり、自然と街に連れ出されるようになりました。当時の札幌はクラブバーのような形態のお店が盛り上がっていて、カウンターでカジュアルに、お客さんのオーダーに応じてドリンクをサーブする人の姿を、かっこよく感じたりしていまいた。

--- それからバーテンダーの世界へ?

その頃、テレビや雑誌とかで、バーテンダーを取り上げる企画を目にしたりしたこともあり、オーセンティックな、プロフェッショナルなバーの世界に興味を抱くようになりました。

高校を卒業したら、バーテンダーの世界に入りたかったのですが親に反対され、とりあえず地元の大学に進学することに。ただ、1年の時から、クラッシクスタイルのバーでアルバイトを始め、お客さんとのコミュニケーションの中でドリンクを提供することに、今までの生活にはなかった充実感を覚え、1年後には学校を辞めて、東京に出てより本格的なバーの世界に飛び込むことにしました。

東京では、銀座、数寄屋橋の本格的なバーのオープニングスタッフとして採用していただけることになり、それから3年間ほどそこで、ウィスキー、ブランデー、カクテル、接客等々、バーテンダーとしてのスキルを磨きました。



ワイン、フランスとの出逢い

--- ワインに興味を抱いたのは?

その頃、田崎真也さんが、日本人として初めて、世界最優秀ソムリエコンクールの優勝を遂げて、ワインブームが起こり、田崎さんの活躍をメディアで拝見する中で、自分の中にワインというものへの意識が芽生え始めました。

また、1998年頃、日仏の交流の催事が頻繁に行われていて、フランスワイン、リキュール等の試飲会に足を運んだりして、ますますフランスへの興味が強くなり。

そんなイベントで、あるソムリエの方の講演会を聴くことができたのですが、その方のワインや、ソムリエという仕事に関するお話が大変興味深く、一気に気持ちが動いていきました。

それからは、バーテンダーとして働きながら、ワインに関する著作や、テレビ番組に片っ端から接するようにし、フランスにも興味を持つようになり、フランス語を学び始めたりして、“フランスに行きたい”という強い思いが生まれ。

1999年の半ばごろ、意を決っして仕事を辞め、ブルゴーニュに語学留学をすることになりました。ブルゴーニュに3ヶ月月、ボルドーに3ヶ月、ブルゴーニュ大学の語学学生という立場で滞在し、時間の許す限りバス、自転車、徒歩で畑や、ワイナリーを回り、収穫なども見ることができました。

--- 銀座レカンへはどのような経緯で?

2000年、24歳の頃には日本に戻り、銀座のワインバーで働きながら、ソムリエ試験を受け資格を取り、田崎真也さんが主催する、25歳以下のソムリエを対象とした「コミ・ソムリエコンクール」に参加し。ファイナリストまで残ることができ、その時に審査員をしていた銀座レカンの当時のシェフソムリエの方にお声がけを頂き、銀座レカンで働く事なりました。

ただ、普通フランスレストランで働く人は、フレンチの料理学校を卒業して入る人が多いのですが、僕はバーテンダーというキャリアからなので、まずフランス料理に関する知識量が足りない、という壁にぶつかり。

料理を知らなければ、レストランのソムリエとして、お客さんを満足させるペアリングや、より深いサービスが提供できないという当たり前の現実を突きつけられ、働きながら、知識を身につけるとともに、若い料理人に話を聞いたり、一生懸命フランス料理を勉強しましたね。

そんな銀座レカンという充実した環境で、2003年、30歳以下のソムリエが対象の第一回『JALUX WINE AWARD』で優勝することができ、2006年には第5回Cuvee Louis Pommery Sommelier Concour 第2位になり、メディア等にも取り上げていただく機会も増えていきました。

【ともにフランスで学んだ生産者の方が経営する函館のワイナリー『農楽蔵』の辛口にごりスパークリング】

--- 2回目のフランス留学について教えてください。

そんな日々の中で、日本のワインの生産者の方と懇意になることができ、彼らの口から出る、「このワインは、生産の過程で、こうしたらもっと良くなるよ」というような、“生産者の視点”に大変心を打たれ。

ソムリエは、すでに出来上がった完成物を評価、説明することしかできないのですが、生産者の方は、その作られる過程からもワインを見ることができる。そんな“生産者の視点”を持つことができれば、ワインに対するより深い知見を持つことができ、自分のテイスティングスキルや、サービススキルもまた違った進化ができるのではないかと感じました。

それから色々調べると、フランスで醸造を学ぶことができる機関があることを知り、改めて“醸造”を学びに、2006年にフランス、ブルゴーニュに行く決意をしました。

CFPPA (Centre de Formation Professionnelles et de Promotion Agricole)というワイン生産関連のあらゆる職業教育と活動を行うフランス農業省管轄の職業訓練センターに1年間入りました。2007年にはブルゴーニュ大学で、フランスの国家資格である、DTO(ブルゴーニュ大学認定醸造技師)のコースを受講、試験を受け資格を取り。

勉強の合間に、時間を作ってスペイン、イタリア、ドイツ、ハンガリー、スイス、オーストリアなど、ヨーロッパ中を巡りました。中でもオーストリアのフランスとはまた違ったテロワール(地勢)や地品種のグリュナー・フェルトリナー(Gruner Veltliner) などが印象的でしたね。

そんなワインの生産者の視点を学ぶ旅を終え、2008年の後半、銀座レカンがリニューアルオープンするタイミングで、日本に帰ってきました。2009年、32歳の年には、レカンのシェフソムリエになり、ワインのセレクト、お出しするタイミング等を決める権限を持つ責任者として、今までワインを学んできた集大成とも言える、密度の濃い経験をさせていただきました。



独立、そしてワインディレクターへ

--- それから独立へと?

2013年6月独立する訳なんですが、きっかけのひとつは2011年の震災でした。飲食店や、エンターテインメントの意味も問われるような状況で、ふと何か立ち止まるような気持ちになり、将来のこと、本当に自分のやりたいこと、に思いをはせるようになりました。

そんな時期に、アメリカの生産者の方にインタビューする機会があり、「ワインディレクター」という存在があることを知り、それは、世界中のワインに関する情報を持ち、流通に関する知識もあり、ソムリエやシェフと共に、どのようなワインをセレクトすれば、お客さんに満足いただけるかを考えるような仕事のことでした。

そんな「ワインディレクター」というポジションを、日本において確立させる事ができるか、そんな事を考え始め、明確な形は作れていなかったのですが、1年間の引き継ぎ期間を経て、銀座レカンを辞め、独立する事にしました。

--- 独立後の活動について教えてください。

インポーター、ワインの卸、ジャーナリストさん達から興味を持っていただいて、ワインのコメント作りや、セレクションのお手伝い、ポートフォリを作り、社員教育やワインセミナーの依頼などの仕事が増えていきました。

その過程で、フランス以外の世界中のワインの知識の必要性にも迫られ、2ヶ月に一回ずつくらいのペースで、世界中のワイン産地を訪ね、情報を得るようなことを始めました。

今年もすでに、南アフリカ、ジョージア、ロンドンは訪れましたし、10月の初旬はフランスです。年に6回は渡航するようなペースですね。来年の1月はフランスと、ニュージーランド、2月は南アフリカ、その後はギリシャの予定もあります。

独立してすぐは、僕に対して、“フランスワインに強い”という印象をお持ちの方が多かったかと思うのですが、このような頻繁に海外の産地を訪ねる生活を3年以上続けてきて、今は、日本のどのソムリエより、世界中のワイン産地に足を運んでいて、リアルな情報を持っていると言ってもいいような状況です。

評論家ロバート・パーカーさんに代表されるような、ワインテイスターという、ワインに対する評価を行う仕事にも興味を持っていて、ワインジャーナリスト山本昭彦さんと、日本初のマスター・オブ・ワイン大橋健一が中心となっている、『ワインレポート』というニュースサイトに、テイスティングをしてコメントするコーナーを一緒に持ったりもしています。

後は、ドローン等最新の撮影機材を使用し、普段は見ることができないシャンパーニュ地方の魅力を映像で伝える、『アート オブ シャンパーニュ(Art of Champagne)』というプロジェクトにも参加していて、今後は、『アート オブ ボルドー(Art of Bordeaux)』等も計画されています。

--- 話題のイベント『DINING OUT』はいかがでしたか?

僕が参加させていただいたのは、2016年10月、パリで人気のレストラン『クラウン・バー』の気鋭シェフ渥美創太さんが料理を担当し、豊臣秀吉が文禄・慶長の役のために築城させた名護屋城跡を舞台に実施された、佐賀県唐津での『DINING OUT』でした。

【2016年10月8日(土)、9日(日)、10日(祝・月)に佐賀県唐津にて開催されたDINING OUT ARITA&】

安土桃山時代の歴史的な遺跡の屋外会場で、一度に40人のお客様を相手に、3日間に渡り、世界中のワイン、地元の日本酒、ノンアルコールという様々なドリンクのペアリングを提供させていただきました。

マイクを使い、一皿ごとに全員にそのドリンクを選んだ意味や、その狙いをご説明するようなことも可能にしてくれたサービススタイルで、自分が考えてきたペアリングの形を、一番大勢の前で体現できたイベントでした。



自身のお店という新たな情報発信の場

--- ベトナム料理とワインの『An Di』というお店を開かれたのは?

レストランのソムリエという立場から、ワインディレクター、ワインテイスターというような領域を目指したのは、お店という世界から離れ、より多くのワインに関する情報を得て、それをより多くの方に発信していきたい、という気持ちからでした。

そんなセミナーや、メディア等を通じて情報発信する活動をしている中で、自身のお店でしか発信できないこともあるなと感じるようになり。どんな形態の店がいいか思いを巡らせたのですが、フレンチを中心とした、ワインと食事という文化が完成しているものをまず考えないことにしました。具体的には、フレンチ、イタリアン、和食、中華ですね。

たまたま、仲のいい日本の生産者の方と訪ねたベトナムで、現地の料理と日本から持ち込んだワインを合わせたら、相性が良かったという経験をしたことで、ベトナム料理とワインとの可能性を考え始め。

現在、世界の食の大きな流れとして、軽く、フレッシュな方向性にあり、ベトナム料理自身がもともとその様なスタイルであること、ベトナムはフランスの植民地時代を経験していて割と洗練された料理が存在すること、美味しいソウルフードも多く、それらをレストラン料理に昇華しやすいと感じたこと、そして、ワインや日本酒、焼酎との新しい組み合わせなので話題性も強く、ワインなどを楽しめる場所、飲む機会の裾野を広げることができることなど様々な要因から『ベトナム料理とワイン』という形態に。

銀座で働き、住まいも赤坂だったので、原宿と外苑前の間という、神宮前3丁目エリアは僕にとっては馴染みのない場所だったのですが、近所にフレンチのフロリレージュさん、和食の傳さん、焼き鳥の今井さんなど、交流のあるお店が多かったこともあり、この物件に決めました。

抜栓したワインがどのように変化していくかをリアルに経験できたり、お世話になった生産者の方のワインをお店に置くことができたり、セミナーやイベントを実施する会場として活用したり、店を持ったことが、自分のコンサルタントとしての仕事にも良い影響を与えています。

--- 『An Di』ではペアリングのコースもご用意されてますね?

2010年頃でしょうか、レカンの時代に、シェフと話し合い、料理に対してグラスワインを合わせるペアリングコースは作っていました。ロス等のリスクもあったのですが意外に好評で、その頃からペアリングに対しての可能性を感じていました。

子羊にはこれ、魚にはこれ、というような素材に対して品種を選ぶ、いわば固有名詞に対してワインを選んでいるような今までのやり方に疑問を感じ、料理、調理方法を理解して、そのお皿の魅力を最大限に引き出す合わせ方を模索しました。

それから自分なりにペアリングの理論を考えるようになり、レカンを辞める頃には、その理論をベースに、セミナー等でお話をさせていただけるようになりました。時には日本酒の蔵元にも呼んでいただいたりしています。

味覚という曖昧な領域は、一見感覚が支配する世界のようですが、僕がセミナーでお話しするテイスティングや、ペアリングに関する理論は、ロジカルなものです。ベースとしての理論が重要で、その先にニュアンス、フィーリングの世界がある。

記憶だけではなく、ベースの理論を理解していれば、少ない数式で問題を解けるように、ワインに関する深い理解があればあるほど、わかりやすく、簡単な言葉で、自分らしく、その特徴や魅力を人に伝えることができる、そう思っています。

--- これからの大越さんについて教えてください。

世界中のワイン、日本酒、焼酎そして、それを楽しむための料理との組み合わせに関する情報を今以上に深め、より多くの人に伝えていきたいですね。

後は、作り手側の領域にもさらに踏み込んでいきたい。自分一人では難しいのですが、協力していただける方と一緒に畑を持って、生産者としてワイン作りの工程に携わることでしょうか。

休日という意識がなく、常にワインのことを考えたり、それに関することで世界中を、日本中を動き回る日々ですが、不思議にストレスも無いんですよね。結局、自分の中の情報やスキルを深め、具体的な形にして伝えていくことで、人に喜んでいただくこと、そんなことが自分を動かす力の源になっているのかも知れません。


CREDIT

Interview & Photo : SUMIYA TAKAHISA

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